■HEAVENLY GATE ―BABY ALONE IN BABYLON 00―■ そこは、切り立った崖のような場所だった。 人工的な平らな地面が少女の背後に広がっている。 眩いほどの青い空とが、遥か彼方で直線を描いて交わる。 果てしない空間だ。 そして、少女の前には、ただ深い闇が広がっていた。 僅か一歩、足を踏み出せば、永遠に落ち続けるのではないかと思える ような闇。 華奢な体を吹き飛ばすほどの勢いで叩きつける強い風が、少女の長い 髪を四方に散らした。 まるで、それ自体が意思を持った生き物のように、宙をうねり、少女 の肢体に絡みつく。 「Parfuemerzeuger」 感情の欠落した少女の声が闇に響いた。 今にも闇の中へと吹き飛ばされそうな状態で立っているのに、あまり にも冷静な声だった。 或いは、過ぎた恐怖のために感情が消えてしまっているかも知れない が。 それにしても、その声は冷酷に感じてしまうほど乾燥していて、そし て、色素の薄い瞳は、子供のものとは思えない冷徹な光を帯びているの だった。 「……ふむ。珍しい。現世を離脱した後にも意識を閉ざしているのか?」 少女は頬に手を当てながら首を傾げて―――その仕種はひどく幼いも のだったが、瞳の彩がそれを裏切っていた―――再び口を開いた。 「Parfuemerzeuger」 闇の中に、冷ややかな声が沈んでいく。 決して大声を張り上げたわけでもないのに、どこまでも続く闇の奥に まで、その声は届いているようだった。 だが、応えはない。 「ああ。言語が異なっていたのだな。『調香師』」 ドクン、と闇が脈打った。 けれども、直に静寂に包まれる。 強い風に髪を遊ばせながら、少女は再び首を傾げて考えに耽った。 「全く。肉体を離れても、柵からは逃れられないとは、人というものは あまりにも愚かだな」 小さな吐息を放って、唇の端を笑みの形に歪める。 「過ぎたことを悔やんでも仕方あるまい。彼の者を傷つけたという事実 を消すことは出来ぬよ」 「―――だから、平気な顔して地獄を満喫しろってか?」 ユラリと闇が揺れて、もうこれ以上昏い色はないだろうと思われる黒 の中に、更に深く沈んだ色が現れた。 それは次第に人の形へと姿を変える。 「過ぎる後悔は、様々な事象の弊害にしかならないということだ。現に、 ただ対面するだけでかなりの時間を浪費した」 「マセた口利くお嬢ちゃんよ。あんたには余るほどの時間があるだろ?」 すっかりと人の形を成した闇は、精悍な顔に皮肉めいた笑みを浮かべ て少女を見た。 「未だ嘗て、時間が余ったなどということはないな。まだ足りぬくらい だよ」 「金の亡者ってのは掃いて棄てるほど見てきたけど、時間の亡者っての も居るんだな」 「それはある一面では正しいが、全貌ではありえぬ。私が望むものは、 真実だ。宇宙の全てをただ一つの法則で言い表すことのできる、統一理 論。それを見出せれば、このような世界に未練はない」 「―――その『統一理論』ってのとオレと、どう関係があるってんだ?」 少女は冷酷な瞳で男を見上げる。 「交渉に来た」 「交渉?」 「残された最後のVOODOO CHILDの命を救いたくはないかね?」 不意に闇から生まれた男の雰囲気が一変した。 それまでは軽薄な空気を漂わせていたのが、浮かべた笑みはそのまま に、獲物を前にした獰猛な獣のような猛々しい光を宿した瞳で少女を睨 みつける。 「身内の命を盾に取る低俗な輩とは付き合うなって、ママの遺言なんだ」 揶揄う口調とは裏腹に、僅かにでも動けば隠し持った牙で咽笛を噛み きらんほどの殺気を少女に放つ。 だが、少女はそれを冷笑した。 「Homunculusを生み出したものを『母』と呼ぶならば、私にもその権利 は与えられる筈だが?」 男の緊張感が急速に高まる。 ピリピリと肌を突き刺すような冷気が密度を増すが、少女は全く怯む ことなく、ただ無表情な視線を返すだけだ。 「『塔』の―――BABYLONの住人か?」 「そう問われれば否と応えるが、関係がないかと問われても否としか言 えぬな」 「あんた、いったい、何者だ?」 吹きつける風が、少女の髪を大きく靡かせる。 「私に名前など存在せぬよ。便宜上、今は『博士』と呼ばれてはいるが ね」 凍えた少女の声に、闇がまた深さを増した。 「『調香師』よ。私はHomunculusの性能には大いに興味を抱いているが、 その命を惜しいと思ったことはない」 「―――卑弥呼の命なんざ、どうでもいいってことか?」 「極論としてはそうなるか。無論、助けることの出来る命ならば、手を 差し伸べないこともないが」 「で?手を差し伸べてやるから、オレに何かをしろってのか?ご大層な ことを吐かしやがるくせに、Homunculusの力を借りるなんざ、矛盾して やがるな」 「我らが造りしは器のみ。それを脱ぎ捨てて存在している者をHomunculus とは呼べまい。故に、私は其方の本質に呼びかけるのだ。『調香師』と」 押し黙ってしまった男に、少女は言葉を続ける。 「厳密に言えば、私が直接、残されたVOODOO CHILDの命を救うわけでは ない。真の『BAB-EL』を開くことによって、一連の儀式の意味がなくな るというだけの話だ」 「バブイル?」 「『神の門』と訳せば良いか。歪な塔の名の由来でもあるものだ」 「あんたの言葉から察するに、無限城は真の『神の門』じゃねーってこ とだな?」 「そうだ。愚かな者どもが数多のHomunculusを犠牲にして偽りの『BAB-EL』 を開くなど、私には全く関係のないことだが―――」 少女はその冷たい眼差しに憎しみの焔を燈して男を睨みつける。 それは、少女が男に初めて見せる人間らしい表情だった。 「私は憤っているのだよ。彼の者を、このような形で馬鹿げた茶番に巻 きこむつもりはなかった。運命の神の気紛れとは言え、まさか、予想し 得る最悪の接触を其方としてしまうとは……」 深い吐息を放って、少女は再びその面から表情を消し去る。 「魔女の手でVOODOO CHILDを殺したときの効果を彼奴らは目の当たりに してしまった。最後のVOODOO CHILDにもそれを望んでいる」 悔恨の彩が男の瞳を過るが、彼はすぐにそれを、心の奥深くへと沈め こんだ。 少女の言うように、悔やんだところで、今更どうにかできることでも ない。 「オレに何をしろって?」 「簡単なことだよ。美堂蛮を眠らせて私の元へ運んでくれれば良い。そ れだけだ」 「―――蛮を売れって言うのか?」 一段と低くなる男の声に、少女は驚いた様子を擬態した。 「おかしな人間だな。あれほどの裏切りをしておいて、今更何を躊躇う のだね?」 「もう一度、オレに蛮を裏切れってのか?笑えねー冗談だぜ」 「出来ぬと言うなら、無理強いはせぬよ。最後のVOODOO CHILDの命は失 われ、彼の者は再び、深く傷つくことになるだけだ」 少女の瞳が僅かに翳る。 男はそれにひどい違和感を覚えた。 まるで、『彼』が傷つくことを、恐れているようだ。 「あんたに蛮を渡したとして、その後、蛮はどうなる?」 「どうにもならぬよ。暫くは眠っていてもらうことになるが、『BAB-EL』 を開いた段階で、塔の住人には価値のなくなる存在だ。誰も見向もしな くなるだろう」 「―――あんたにとっても、価値がなくなるのか?」 「そう思うかね?」 真直ぐに向けられる少女の無感情な視線に、男は困惑する。 「……なんでだか、あんたは蛮を傷つけたくねーみてーだしよ……」 ふわり、と少女の唇が笑みの形に歪んだ。 吹きつける風に舞う長い髪が、少女の顔を隠す。 直に現れた面には、やはり、何の感情も浮かんではいなかったが、男 を納得させるのは先ほどの柔らかな笑みだけで充分だった。 「もし、蛮と卑弥呼の身に何かあったら、あんたもこっちに呼んでやる からな」 「私の言葉に偽りがあれば、好きにするがいい」 闇の中から、男が一歩足を踏み出す。 トンッと軽やかに地に降り立って、男は上着の懐から煙草を取り出す と、それに火を点した。 一口、それを喫んでから、少女に言葉を投げる。 「交渉成立だ」 カチリ、と遠くで微かな音。 それは、BABYLONのシステムに新たな歯車が組みこまれた音だったが、 それに気づいたのは、僅かに男よりも音に近い場所にいた少女だけだっ た。 伊藤さまからいただいた、博士と邪馬人にーちゃんの会話ですv もとは掲示板にあった博士蛮の小ネタに、起きて破りの「書いて ください!」コールを送りつけた不届き者の中沢の我侭に、快く (?)書いてくださったのがこちらv 伊藤さまのお書きになる博士はとても男前で、もう、大好きですvvv 言わずもがな、にーちゃんもかっこよくてvvv思わずこの続き (にーちゃんが蛮ちゃんを銀次から掻っ攫うシーンv)を考えて しまったくらいです(笑) (これについては、伊藤さまからのお許しもでたことですので、 書いてみようと考えてます) 掲載まで許可していただき、本当にありがとうございましたvvv お礼にもなりませんが、今回つけさせていただいたイラストは、 伊藤さまへ捧げさせていただきます(^^) ちなみに、タイトルからもお分かりのように、このお話には続き があります。 「BABY ALONE IN BABYLON」と言いまして、伊藤さまのサイト、奪 還屋の小部屋in永久機関様の掲示板に載っております。こちらも チェックされると、更に楽しめること間違いなしです!v