LUNATIC

    自分よりも更に冷たい唇が、柔らかく触れ、次いで離れた。
    眼前でくすりと笑みを浮かべた男が再び口付けてくる。今度は深く。
    歯列を割って進入してきた舌に、これは熱いんだなとぼんやり思う。
    口付けを交わしたまま、ゆっくりと倒される体。それを、ベッドが優しく抱きとめた。
    互いに目を開けたまま、貪るような口付けを交わす。
    男の視線を感じながらも、俺は視線を空(くう)へと向けていた。
    視線の先に、月。
    天空に円を描く、狂気の象徴――――。
    「はぁ……ん…っ。」
     零れ落ちた吐息を飲み込むように、もう一度口を塞がれる。
     いつの間に開かれたのかシャツのボタンは既に外されていて、男の冷たい手が白い肌を
    なぞった。
     ぞくりと、体が震える。
     自分もそれほど体温の高いほうではないが、この男はそれ以上の冷たさだ。
    もっとも、体の中にメスだの剣だのを隠し持っているのだ。この冷たさも頷けると言う
    ものだろう。
    ――――あいつとは正反対だな。
    思わず零れた笑みを見咎め、俺を組み敷いていた男がゆっくりと上体を起こした。
    「こんな時に考え事ですか?私も随分と軽んじられたものですね。」
     そう言ってくすりと笑う。
    「何?気にいらねぇの?」
     嫣然と微笑めば、男の笑みが深まる。
    「それはもちろん。私だけを見てはいられないんですか?美堂……いえ、蛮くん?」
    「俺に見てて欲しいんなら、この手でその気にさせろよ。」
     挑発的に笑みを浮かべ、髪を梳いていた手を引き寄せる。そうして男を真っ直ぐに見つ
    めながら、見せ付けるように冷えた指に舌を這わせた。
    「その言葉、後悔しないでくださいね?」
     くすりと、もう一度男が笑みを浮かべる。
     僅かに情欲の垣間見える瞳。
     この男でも興奮するのだと、その事実が奇妙に心地よかった。
    「させられんのかよ?」
     なおも挑発すれば、今度は言葉はなく、唇を塞がれる。
     唇を重ねたまま、だが互いの瞳は閉じられることはなく。
     ただ吐息だけが口付けの合間に零れ落ちた。
     肌を滑る冷えた指。
     それとは異なる生温かな舌が肌をなぞる。
     そのギャップと快楽に何度も震える体。
     加速度的に増す熱に浮かされ、堪え切れずに零れ落ちる吐息。
     自分を追い立てるこの不埒者に、それでも救いを求めて縋りつく。
    「くす。」
     耳元に、笑み。
     反射的に睨み付けたその瞳も、次の瞬間快楽に流された。
     僅かの後、生温かな感触が欲望を包み込んだ。
     思わず伸びた腕。
     引き剥がしたかったのか、それとも更なる刺激を強請ったのか、それは当の本人にすら
    分からず。ただ悪戯に、漆黒の絹糸を弄ぶ。
    「あ………っっ!」
     微かな声を上げ仰け反る体。
     途端溢れ出した雫は、男の喉を潤す甘露となった。
    「は……ぁ……。」
     気だるげに身を横たえ、そうして潤んだ瞳に映るのは、二人を見下ろす丸い月。
     漆黒の闇に、青白き光を湛えた天体。
     しばしば"狂気"の象徴とされるその球体に、この行為はどのように映っているのだろう
    か。
     "狂気"か。それとも――――。
    「まだ、考え事ですか?蛮くん。」
     耳元に囁き。
     ゆうるりと瞳を向ければ、己を見下ろす闇よりもなお深い深淵。
    「この眼は、どうしたら私を見てくれるのでしょうね……。」
     笑みが苦笑に変わる。
    「ちゃんと……見てんだろ……?」
     微笑を浮かべれば、小さな溜め息が洩れた。
    「……全く。それでも、そういうところもあ……。」
     呟きは、柔らかな口付けで遮られる。
    「禁句……だろ?」
     密やかに囁かれた声に、小さく笑みが零れた。
    「そう……でしたね。」
     言葉と共に落とされる口付けを、その首に腕を絡めることで応えて。
     細められた瞳に映る月に、知らず笑みが零れ落ちる。
     狂気に抱かれ、狂喜するこの身。そう、狂っているのはおまえではない。この俺だ。
     青白く冴え冴えとしたその煌きに、笑みは益々深まって――――。
    「あかば……ね……っっ!」
     そうして彼(か)の狂気をこの身に深く受け入れる瞬間、
     ああ、今夜は"待宵"だったのかと、狂喜の中、俺はようやくそれに気がついた。


     THE END
     コンセプトは「HくないH」(笑)      行為自体はしてるんですけどね。でもHじゃないというのを      目指してみました。      どうでしょう?      しかし、なんだか両想い?と言うか、別人?(特に蛮ちゃん)      それでも書いてて楽しかったので、屍蛮もOK?なんて思っ      てしまいました(笑)      "待宵"は、満月の前の晩の月の別称です。      完全に満ちる前、と言うことで、"待宵"="狂気の一歩手前"。      そんな感じです。