手渡された衣装にネギは困惑した。目の前の父はにこにこと笑みを崩さぬまま、有無を言わせず
			押し付けてくる。

			 さらりとさわり心地の良い布を握りしめて、途方に暮れたネギは瞳だけで父を見上げると、その
			ままことりと首を傾げた。


			「あの、父さん?」

			「なんだ、ネギ?」


			 問えば、すぐの返答。常通りの父に少しだけ安心しながらも、手の中の柔らかな布が現実を直視
			しろと訴えかけてくるようで。


			「これ、なんですか?」
			
			「メイド服」

			「……」


			 即答に思わず沈黙した。次いで、なんでこんな状況になったのだろう、と思考を巡らせる。

			 それは一種の現実逃避に近かった。













			イタズラ男の策略










			 麻帆良学園にも運動会がある。とはいえ、学園祭でさえ学園全域が一体となって行う学校だ、運
			動会ももちろん学園都市内の全学校が合同で行う。しかし今年から、少し違った試みが行われてい
			た。

			 所謂、普通の学校と同規模の運動会の実施。

			 各学校ごとに日時をずらし、小規模の運動会「も」行おう、というものである。「も」なので言
			わずもがな、通年通り全学校合同の運動会ももちろん行う。

			 もともと、小規模運動会の実施は数年前から提案されていたらしい。学園都市全域を使って行う
			大規模運動会は規模が大きすぎて、正しく参加できない生徒が多い、というのがその理由だった。
			加えて、チーム分けもチーム人数もかなりの規模になってしまうため、途中採点に混乱が生じる、
			というのも理由の一つらしかった。そんなわけで、試験的な小規模運動会の実施が行われることに
			なったのである。

			 ネギが教師として実際に働いている、麻帆良学園女子中等部もまた、女子中等部だけで運動会を
			行う。日取りは二週間後の土曜日。種目も大規模運動会のハチャメチャな種目と打って変わり、ご
			くごく一般的(そもそもネギはその“一般”を知らなかったが)なものである。リレーに障害物競
			走、綱引き、騎馬戦、玉入れ、大玉ころがし、パン食い競争、エトセトラ。とはいえ、大規模運動
			会に慣れた女子中学生達を楽しませるためには少々刺激が足りない。そんなわけで付け加えられた
			のが、今回の目玉種目、教師混合仮装リレーである。


			「僕、ですか?」


			 朝、学園長室に呼び出されたネギは困惑の声を上げた。


			「うむ。教師代表には、ネギ先生が良いのではないかという意見が多くてのう。それに、ネギ先生
			はもはや女子中等部名物になっておる。ぜひともリレーアンカーを務めてもらいたいんじゃが」

			「あの、それは構いませんけど、アンカーならタカミチ……高畑先生とかのほうが良いんじゃない
			ですか?」


			 今が職務中だということを思い出して、慣れないファミリーネームで候補をあげる。学園長は苦
			笑じみた笑みを浮かべると、「それじゃと華がないじゃろ」と続ける。


			「華、ですか」

			「華、じゃな」


			 繰り返された言葉に曖昧な笑みを浮かべた。タカミチが華ではなくて、自分が華になる理由がわ
			からなかったが、学園長の言葉に逆らえたためしはない。既に決定事項なのだろうと自己完結した。


			「……わかり、ました。生徒たちに負けないよう頑張ります」

			「うむ。ああ、それと、仮装用の衣装をナギが調達してくるそうじゃから、衣装で走る練習も忘れ
			ずにのぅ」

			「はい」


			 頷きながら、はて、なぜ父は自分より先にそのことを知っているのだろう、と首を傾げる。次い
			で、やはり学園長の中でアンカーが自分になる事は決定事項だったようだ、とも。


			(ま、いいか)


			 その時のネギは深く考えず、曖昧な笑みのまま学園長室を退室した。





			(あー、あの時にもっと強く反対していればよかったのかなあ……でも、相手は学園長先生と父
			さんだしなぁ。結局同じ状況に陥っている気も)


			 にこやかな笑みを浮かべ続ける父を前に、ネギは現実逃避を終えてはあ、と深く息を吐いた。ナ
			ギは楽しそうな笑みのまま、「サイズ合うかわからねぇから、今着てみろよ」なんて言っている。


			「別に良いですけど、じゃあ父さんは出ていってください」

			「は!? なんで出てくんだよ。俺に見せた方が良いだろ」

			「そんなの、見られたくないからに決まってるでしょう!」


			 思わず赤面して叫ぶと、ナギは「なんでだよ?」と心底わからない、といった顔をした。

			 ナギに見られたらとんでもない、とネギは思う。絶対にからかわれるに決まっている。


			「っていうかなんで仮装衣装がメイド服なんですか! もっといろいろあるでしょうに」

			「じゃあネギ、お前はでっかいペンギンの着ぐるみ着て走る自信があんのか? アンカーなのに?」

			「それは、ちょっと大変かもしれないですけど……って僕の衣装着ぐるみとメイド服の二択なんで
			すか!?」


			 なんで!?

			 思わず突っ込むと、ナギは傍らのテーブルに置いてあったファイルから何かの書類を取り出した。
			手渡されたので表紙を見ると、「運動会・教師混合仮装リレーについて」と書かれている。

			 こんな書類、自分は知らないぞ、と思いながら一枚めくると、どうやらそれは教師陣に行われた
			アンケート結果のようで、「リレー参加者 推薦・自薦」やら、「希望衣装候補一覧」やらの表が
			示されている。

			 よくよく読めば、「リレー参加者 推薦・自薦」の欄の一位に自分の名前が書かれている。その
			横に合わせるようにしてある「着て欲しい衣装候補」の項目に、メイド服、ナース服、セーラー服、
			巫女服……などなど、何故か女装物ばかりが並んでいた。唯一女装物でないのは、ペンギンの着ぐ
			るみとパジャマだけだ。


			(……な、にこれ)


			 呆気にとられて、目が点になる。更にめくると、「リレー参加者 推薦・自薦」で上位に入った
			面々がそのままリレー参加者に決定された旨が、運動会運営担当教師と学園長により、運動会にふ
			さわしいと思われる衣装が抜粋されて、その中から更に候補アンケートがとられている。見れば、
			ネギの欄はメイド服とペンギンの着ぐるみが同票一位だった。


			「えー……っと」


			 なんて答えたらいいのかわからなくて、とりあえず書類をナギに返した。ナギは何でもない風に
			ファイルに仕舞いなおすと、「わかっただろ?」とまた笑みを浮かべる。

			 確かにわかった。むしろわかりたくなかった事までしっかりわかった。ついでに、


			(もしやこれは、逃げられない……?)


			 なんとなくそんな気はしていたが、急に現実味を帯びた事実にネギは冷や汗を垂らした。ネギが
			観念しかかっている様子に気がついたのか、ナギの手がわきわきと動きながら伸びてくる。


			「ああ、でもそうか、着方とかわからねぇよな、どれ、俺が着せてやるよ」


			 にやり、と、不吉な笑みを浮かべてナギの手が迫りくる。

			 脱がせられたら溜まったもんじゃない、と、ネギは慌てて服を握りしめた。顔がかっと熱くなる。


			「着、着れます!! 一人で着れますから父さんはあっちいっててください!」

			「ほんとかぁ? お前、メイド服なんて見た事ねーんじゃねぇの」

			「わかりますよ! そんなにいうんなら後で父さんが確認すればいいでしょう! ……あ」

			「よっしわかった、確認してやる」


			 口をついて出た言葉は取り消せず、ナギはにやりと意地の悪い笑みを浮かべると、一度ネギの頭
			をぐしゃりと撫でてから踵を返した。扉を開けて外に出る間際、


			「ま、着れてなかったら着れてなかったで“おいしい”から良いけどな」


			 瞬間、悪寒が背筋を駆け昇ってネギはぶるりと震えた。


			(あれ、もしかしなくても着たらまずいんじゃ――)


			 思ったが、逃がさないというかのようにナギが扉の向こうから「早く着ろよー」と楽しげな声で
			言ったので、ネギはがっくりと肩を落とした。





			 数分後、着替え終わったネギはおずおずと部屋の扉を開いた。

			 恐らくナギはリビングで待っているだろう、と当たりをつけて廊下に出ると、にこやかな笑みを
			浮かべたナギがしゃがみ込んで待っていた。


			「父さん」

			「よう、着れたみたいだな」


			 右手をあげて、軽い動作でナギは立ちあがった。じろじろと品定めをするようにネギを見ると、
			うんうん、と何度か頷いて笑みを浮かべる。


			「なかなか似合ってるじゃねぇか。つかよく着れたな」

			「はあ、まあ、似合ってても嬉しくないですけど。基本構造は普通の服と一緒ですし」


			 答えると、ま、そりゃそうだよな、と軽い口調でナギも肯定した。

			 確かに基本構造は普通の服と一緒だが、普段着ないスカートは足元がスースーするし、首元の襟
			は少しきつい。ひらひらのエプロンは目に痛いし、全体的にごてごてしていて動きにくい。早く着
			替えたくて、ネギは「じゃあもう良いですよね」と早口で言った。


			「いやいや、誰が良いって言った」

			
			 が、そうはいかず。

			 ナギが笑みのままネギの肩を掴んだ。そのままぐい、と部屋の中に押し戻される。

			 律儀にメイド服と一緒に渡されたブーツまで履いていたネギは、慣れないヒールのせいもあり、
			簡単にバランスを崩す。転びそうになったところをナギが腰を持って支えた。ぐっと、ナギの顔が、
			近くなる。


			「えーっと、父さん……?」


			 わけがわからず首を傾げるも、ナギは笑みを濃くしただけ。


			「メイド服ってのがどういう構造か、なかなか興味深いな。脱がしてみても良いか?」

			「は!?」


			 言うが早いか、ナギは素早く胸元のリボンをほどいてしまった。「あ」と声を上げる前に、近づ
			いてきた顔が距離を埋める。吐きだすはずの言葉はナギの口に吸い込まれた。


			「んっんー!」


			 支えられているのを良い事に、足をばたつかせたり手を使ったりして抵抗したが、ナギの腕は固
			く姿勢は戻せないうえに、段々力が抜けてくる。抵抗のため振りあげた腕が力なくナギの胸板を叩
			いた時、ようやくナギの口が離れた。


			「っは……な、にしてんで、すか!」

			「何って、キス?」


			 問えばとぼけたように返される。完全に力が抜けてしまったネギの体を軽々と横抱きに持ち上げ
			て、ナギはやはり、笑みを浮かべた。


			「まあまあ、今日は休日だし良いじゃねーか」

			「良くないです!」


			 声に出して笑いながら、ナギは自分のベッドにネギを降ろす。先のキスで力が未だ戻らない上に、
			布の多いメイド服のせいで動きづらい。慌てて起き上がろうとしたネギを抑えつけながら、ナギは
			いたずらが成功した子供のような声で言った。


			「ま、諦めろ」


			 あれ何のためにメイド服を着たんだっけ、と、ネギが自問自答をするより早く、ナギの手はシャ
			ツの襟元に伸びていた。





			 後日。

			 メイド服を見る度にナギを思い出してしまうらしいネギは、それからしばらくの間、メイド服を
			直視することができず、ぶっつけ本番で運動会に臨んだ。

			 アンカーを走る女子中等部名物・子供先生は、可愛らしいメイド服に身を包み、顔を真っ赤にさ
			せて驚異の走りを見せたらしい。半泣きになりながら走る姿に参加者も観客も胸を撃ち抜かれたが、
			その赤面の理由に気づいた者はいなかった。

			 ちなみに、運動会が始まる前、ナギに呼び出されたネギはこんな言葉を受けている。


			「もし仮装レースでビリになったらお仕置きな!」


			 それはそれは良い笑顔で言い切ったナギに恐怖を覚えた故の、驚異的な走り。

			 しかしネギは知らない。


			(ま、一位になったら一位になったで、ちゃぁんと“ご褒美”をやるつもりだけどな)


			 そんな、ナギの企みを。





			THE END





















			眩無 アズさんからいただいたナギネギですv

			メイド服を直視できなくなるなんて、ネギ君はナギに一体ナニをされたん
			でしょうか・・・?あと、「ご褒美」ってナニ?
			とっても気になります(笑)
			メイドなネギ君ももちろんですが、ペンギンの着ぐるみ姿も可愛いんじゃ
			ないかと(^^)
			尤も、「いえ、頑張って走ります!」なんてペンギンを選ぼうとしたら、
			ナギは全力でそれを阻止したと思いますけどね(笑)

			萌え滾った感は充分伝わってますので、ご安心ください(^^)
			というか、気を遣わせてしまってすみませんでした;
			でも、キス有は正直、嬉しかったです(^^)(←ダメ大人だ;)
			楽しいSSをありがとうございましたv