ミントチョコ



		「ば〜んちゃんvはい、これあげるv」

		 満面の笑顔で銀次が俺に手渡したのは、チョコレート。それもミント
		味の。

		「?ミントチョコ?いーけどよ、なんで?」

		 唐突な銀次の行動に、思わず首を傾げてしまう。

		「えへへvなんででしょう?当ててみてv」

		 首を傾げた俺に、銀次は意味深な笑みを浮かべてそう言った。

		 得意げに笑う奴の顔がなんだか癪に障って、俺はあれこれとその理由
		を考え始めた。

		 甘い物好き、味覚は完全にお子様な銀次とミントチョコなんて、どう
		考えても違和感がある。自分で食うつもりならミルクチョコ買ってくる
		はずだよな。もしくはそれに類したもん。ってことは、俺に渡すために
		わざわざ買ってきたのか。俺がほとんど甘いものを口にしないのは銀次
		も知ってんだから、何かあるのは間違いない。

		 さて、問題はその"何か"が"何なのか"、だよな。

		 銀次がこういう行動に出る時は、十中八九イベントが絡む。と言うか、
		それ以外の時(本当はそういう時だって)にそんな無駄遣いしている余
		裕、俺たちにゃない。だから、今回のこれもそう言ったもの絡みなのは
		明白だ。

		 ………思い当たる節なんてねぇぞ。

		 俺の誕生日はとっくに過ぎてるし、銀次の誕生日はまだ先だ。第一、
		奴の誕生日に俺が何か貰うってのは可笑しい。俺がやるほうだろ。って
		こたぁ、誕生日は関係ねぇな。

		 それ以外のイベントって言や、えーと、節分……って2月は2月でも、
		ありゃ3日の行事じゃねぇか。しかもミントチョコと何も関係ねぇし。

		 ………ああ?2月14日だろ?何があるよ?

		 2月2月………。

		 そこまで考えて、ふと、こんなこと前にもあったなと思い出す。

		 一月から順に一年の行事を並べ立てて、「でも遊びの計画ばっかりね。」
		と笑ったのは卑弥呼だった。あれは……。

		 そうして本当に突然に、邪馬人の言葉が蘇る。

		『そうそう。忘れちゃいけないのがバレンタインデーとホワイトデー。』

		 ――――――!!

		 って、もしかしてこりゃバレンタインのチョコかよ!?

		 そこで俺は、ようやく今日、2月14日がバレンタインデーだということ
		を思い出した。

		 銀次に「ちょうだい!」と騒がれるかも、と考えたことはあったが、
		まさか奴のほうからくれるとは考えても見なかった。

		「……もしかしてこりゃ、バレンタインチョコか?」

		「うんvさっすが蛮ちゃん!良く知ってるねv」

		 恐る恐る洩らした俺の言葉に、銀次は嬉しそうに笑みを浮かべた。

		 思わず溜め息が洩れる。ついでに脱力感。

		「どしたの?蛮ちゃん?」

		 銀次の不思議そうな顔。

		『……こいつ、バレンタインデーがどういう日か本当に分かってんのか?』

		 ?マークを浮かべてこっちを見てる銀次の顔に、俺は頭を抱えたくなっ
		た。

		 『バレンタインデー』。

		 もともとイギリスにあった風習で、女が好きな男にチョコレートケー
		キを作って渡すってのが本来。それを日本のお菓子メーカーが、「女性
		が男性にチョコレートと共に愛を告白できる唯一の日」として持ち込ん
		だのが始まり。

		「女性のほうから告白なんてはしたない。」と言われてた昔ならいざ知
		らず、今は女のほうからの告白なんて珍しいもんでもなんでもない。そ
		の昔と違って、大分この『イベント』も儀礼的なものになってしまった
		感が否めない(なんたって『義理チョコ』なんてものがあるんだからな。)
		が、それでもこのイベントが廃れないのは、お祭り好きな日本人の気質
		によるものだろう。イギリスの風習を持ってきた日本のお菓子メーカー
		の狙いは、見事的中したって訳だ。

		 そう、この日は「女」が「男」にチョコをあげる日であって、「男」
		が「男」にチョコをやる日ではない。そりゃ、他所じゃこの日に、恋人
		同士がプレゼントだの手紙だの交換してるってのも知ってんよ。けど、
		少なくともここ日本じゃ「女から男へ」ってのが一般的で、その逆だの
		銀次みたいのは、珍しいを通り越して無きに等しいだろう。

		 それにな、はっきり言やぁ、男にチョコ貰っても嬉しくねぇんだよ。
		例え相手が銀次だろうと。やっぱ貰うんなら女からのほうが良いに決まっ
		てる。それも巨乳の美女。ってもヘブンからは嬉しくねぇかも……。

		「蛮ちゃん。食べてくんないの?」

		 ミントチョコ持ったまんま黙っちまってた俺に、銀次が声をかけてき
		た。

		「あ?ああ、まあ、くれんのは嬉しいんだけどよ。……銀次。」

		「何?蛮ちゃん?」

		 苦笑して銀次を見れば、何が嬉しいのかにこにこと笑ってやがる。

		 ……知らねぇんだろうな、この分じゃ。

		 溜め息を一つついて、銀次に向き直る。

		「バレンタインデーってのが何の日か、オメー本当に分かってんのか?」

		「好きな人にチョコあげる日でしょ?」

		 それ位知っているとばかりに即答する銀次。

		 いやまあ間違っちゃいねぇよ、確かに。けどな、肝心なとこが抜けて
		んだよ。「女が」っつう一番重要なポイントが。

		「女が、な。女が好きな男にやるんだよ、チョコを。」

		「え?そーなの?でもいーじゃん、別に。女の子だって「好き」だから、
		その気持ちを伝えたいから男の子にチョコあげるんでしょ?俺もそーだ
		よ。蛮ちゃんが好きだからあげようって思ったんだ。ね?一緒でしょ?」

		 何やら得意げに笑う銀次のその理論に、二の句が告げなくなる。

		 言ってることは正論(?)なんだか、何か違う、そう思うのは俺だけ
		なんだろうか……?

		「あ!でも、女の子のほうからあげる日なら、やっぱ俺からは変かも……。」

		 突然何かに気づいたように言い出した銀次に、思わず首を傾げる。

		「あ?なんで?オメーの理論だと別に可笑しくねぇだろ?」

		「だって本当は「女の子のほうから」何でしょ?だったら蛮ちゃんから
		貰うのが正しいんじゃん。」

		「……あ?正しいって、その根拠は何なんだよ?」

		 そう言い切る根拠が分からない。

		 何だか嫌〜な予感はしたが、それでも俺は眉を顰めて問い返した。し
		かし次の瞬間、俺は問いかけたことを思いっきり後悔したのだった。

		「え?根拠って、そりゃ、蛮ちゃんがネコだから……。」

		 そう言い終わるか終わらないかのタイミングで、俺の拳は銀次の頭を
		捕らえていた。

		 「ゴン!!」といういい音がし、そうして銀次が殴られた箇所を押さ
		えてその場に蹲った。

		「いっっっっっ!!!」

		 痛みに、上手く言葉にならないようだ。

		 そりゃそうだろう。手加減はいちようしてやったが、それでも結構な
		力で殴りつけたのだから。

		「銀次!!テメーそういうこと言うか!?」

		「……殴んなくたっていいじゃんか〜……っ。」

		 涙目で俺を見る銀次を容赦なく睨みつける。が、きっと頬が赤くなっ
		ているんだろう。銀次の顔が緩んでやがる。

		 こいつっ、もう一発殴ったろか!?

		 一瞬行動に起こしかけたが、寸でのところで抑える。銀次がこんな調
		子なのは今に始まったことじゃないんだから。

		「ったく、何考えてやがんだ!」

		「もー、そんなに怒ることじゃないじゃん。ホントのことなんだから。」

		「テメーまだ言うか……?」

		「わーっっ!ごめんなさい!!もう言いません!!」

		 殺気だった俺に、慌てて銀次が土下座を繰り返す。もう平謝りといっ
		た体だ。

		 ったく、あんま俺を怒らすなよな。別に殴りたくて殴ってる訳じゃねぇ
		んだからよ。

		 銀次曰く、俺が奴を殴るのは「愛情表現」だそうだ。が、俺に言わせ
		れば、奴が殴りたくなるようなことしか言わねぇからで、愛情表現では
		決してない。そう、俺を怒らす銀次が全て悪い。

		「……ねぇ蛮ちゃん。」

		「何だよ?」

		「チョコ、食べてよ。」

		 じっと俺を見る銀次の顔がなぜか興味津々と言った感じなのが気になっ
		たが、せっかくくれたものを食わないというのも悪いかと思い、持った
		ままだったチョコの包みを開けてみる。そして現れたチョコレートを、
		一口大に割って口に放り込んだ。

		 途端、口に広がる甘くて、でもミントの清涼感の残るなんとも言えな
		い味。

		「美味しい?蛮ちゃん?」

		「……まあ、ミルクチョコよかマシか……。」

		 甘いものを好まない俺としては、やっぱり美味いとは言い難かった。
		それでもチョコを食べる俺を嬉しそうに見る銀次の顔に、一口二口と口
		にしていく。残しても銀次は食わねぇだろうとも思ったので、結局一枚
		を食べ切ってしまった。

		「……甘……。」

		 いくらミントチョコとはいえ、腐ってもチョコ、さすがに一枚食べ切
		れば、口の中は甘くて仕方がない状態になってしまった。

		「……水くれ……。」

		「はい。」

		 用意良くお茶のペットボトルを差し出した銀次の手から引っ手繰るよ
		うにして受け取って、半分くらいを一気に飲み干した。そこでようやく
		息をつく。

		「大丈夫?蛮ちゃん。」

		 なぜか背中を擦ってくる銀次に苦笑して、俺は小さく頷いた。

		「ああ。さすがに全部はキツイわ。」

		「蛮ちゃん甘いの苦手だもんね。」

		 そう言って笑う銀次の顔が、何だか無性に気に障る。

		 もとはといや、オメーが俺に渡したもんだろが。そう思うんならも少
		し考えやがれ。

		 そう言いかけて、やめた。

		 考えたからこそミントチョコを選んだんだろうと分かってるから。

		 でも、どうせなら量も考えて欲しかった。

		「……ねぇ蛮ちゃん。」

		 しばらく無言で俺の顔を見ていた銀次が、不意に声をかけてきた。

		「あ?何だよ?」

		「んーと、あの、なんともない?」

		「……あ?」

		 銀次の言葉に首を傾げる。

		 「なんともない?」って、チョコ食っただけだぞ?そりゃ口ん中はま
		だ甘いが、それくらいでどうにかなる訳ねぇ。腹も異常ねぇし、何が
		「なんともない?」んだ?

		 銀次の言わんとしていることがよく分からなくて、俺はますます首を
		捻った。

		 ……ん?待てよ?それとも何か?こりゃ市販のチョコなんかじゃなく
		て、なんかやべぇ薬でも入ってるもんなのか?食べ物にってな今までな
		かったが、とうとうそんなもんまで寄こしやがったのか!?絃巻きのヤ
		ロー!

		 そう考えれば、銀次の問いも説明がつくというもの。

		 もしそうなら全部食っちまったのはヤバイかもしれない……。

		「おい銀次!」

		「ほえ?」

		「テメーこのチョコどこで手に入れた!?」

		 急に怒り出した俺に驚いたのか、銀次は鳩が豆鉄砲食らったような顔
		をした。

		「どこって、コンビニだけど?」

		「うそじゃねぇな?」

		「うん。それが?」

		「いや。ならいい。」

		「???」

		 一人で納得している俺に、銀次の頭の上には「?」が飛んでいる。
 
		 ま、ついてこれねぇのは当然だろう。

		 しっかし、危惧した絃巻き絡みじゃねぇとすると、なんなんだよ?さっ
		きの銀次のリアクションは?何があるってんだ?あのミントチョコに。

		「おい、銀次。さっきの「なんともない?」ってな何なんだ?」

		「え?あ、うん。えっと……なんでもない。」

		 口籠って、結局答えをださない銀次にイライラがつのる。

		「ああ?何なんだよ?ほら、言ってみろ。」

		「だって蛮ちゃん、怒るから……。」

		 ………怒るようなことなのか。

		 思わず溜め息が出る。

		 銀次のこの反応からしても、くだらないことなのは明白だ。しかも、
		ネタ提供者は十中八九絃巻き。毎度毎度、銀次に妙なこと教えやがって。
		いつかシメたる!

		「…怒んねぇから言ってみろ。」

		 そうは言っても、銀次が何を企んでいたのか気になって、俺は銀次に
		答えを促した。

		「ん〜じゃあ言うけど……。ミントチョコ食べるとさ、その、なるって
		聞いて……。」

		 俺の「怒らない」の一言に、銀次はようやくその企みを話し出した。

		「なる?何が?」

		「その、Hしたくなるって……。」

		 へらっと笑った銀次の横っ面を、俺の拳は見事に捕らえていた。

		「いってー!!蛮ちゃんのうそつき!怒んないって言ったじゃん!!」

		「殴んねぇとは言ってねぇ!!」

		 銀次の抗議に屁理屈で返す。

		 怒らないようにしようという、人の努力を踏み躙るようなこと言い出
		すテメーが悪い!

		 しかもなんだって!?「Hしたくなる」だと!?なんだそりゃ!?

		「あう〜。」

		 タレと化した銀次を睨みつける。

		 妙なこと考えやがって。タレてりゃ許されると思うなよ?

		 …………待てよ?俺が食べたのはただのミントチョコだろ?それがな
		んでそんな気になることになるんだ?

		「おい銀次。テメーどこでそんなこと聞いてきた?」

		「どこって、そんな話してたの聞いたんだよ。」

		「誰に?」

		「知らない女の子。」

		「あ?」

		「どっかの制服着てた女の子たちが、「ミントチョコ食べるとHな気に
		なるんだって。」って言ってたんだ。だから俺、なら蛮ちゃんも食べた
		らその気になってくれるかなって思って。だって蛮ちゃん、全然させて
		くんないんだもん!俺がこんなに求めてるのに!」

		 一度殴られたので開き直ったらしい。銀次の奴、本音をぶつけてきや
		がった。

		 させてくんねぇって、銀次。だからってそういうことしていいと思っ
		てんのか?卑怯だろうがよ。そういうのは。

		 銀次の気持ちも、まあ少しは分からないではないが、だからといって
		こういう手段に出るのは反則だろう。と言っても、絃巻きが絡んでなかっ
		た分、マシと言えばマシなんだが。奴が絡むとろくなことねぇ!

		 ……ん?ちょっと待て。ミントチョコでそんな気になんてなんのか?
		そりゃ、チョコにゃ"カフェイン"って名の立派な興奮剤が含まれてるが、
		それならミルクだってビターだって良い筈だろ?なんで「ミントチョコ」
		なんだよ?チョコが原因じゃねぇとすっとミントってことになるんだが……。
		ああ?ミントにそんな成分入ってたか?それとも俺が知らねぇだけで、
		チョコとミントのなんだか分かんねぇもんの相乗効果でそんな気になる
		とか?ってどの成分よ?聞いたことねぇぞ。

		 ……ってそういう問題じゃねぇ。もし仮にそうだとしても、市販のミ
		ントチョコでそんな効果が得られるなんざ、それこそ売り物になんねぇ
		だろが。ヤバ過ぎだって。

		 たかが女子高生の会話、根拠なんてねぇのかもしんねぇ。が、もしそ
		れが功を奏していたら、もしかして銀次の好きなようにされてたかもし
		れないと思うと………洒落になんねぇ。

		「あのなー……。」

		「だって、俺は蛮ちゃんに触れたいんだよ!触れて、キスして、抱き締
		めて、思いっきり蛮ちゃんをこの手に感じたい。そう思ってるのに蛮ちゃ
		んちっともさせてくんないんだもん!我慢だって限界だよ!!」

		「お、おい銀次っ!?」

		 銀次の奴、思いっきり叫んだかと思うと、いきなり抱きついてきた。

		 その勢いのまま、ベッドに押し倒される。

		 ちょっと待て!この展開はマズイだろ!?

		 慌ててじたばたともがく俺を、それでも銀次はしっかり抱き締めて逃
		がさない。抵抗空しく、さっきよりも深く抱き込まれてしまった。

		「ぎ、銀次っっ!」

		「大好きだよ蛮ちゃん。蛮ちゃんのそばに居るだけで幸せだけど、でも
		俺、まだまだ子供(ガキ)だから、だから蛮ちゃんを欲しいって気持ち、
		抑えようがないんだ。そばに居るから余計に触れたい。感じたい。それ
		でも、ダメ?」

		 真っ直ぐに俺を見つめてくる銀次に、返す言葉が浮かばない。

		 銀次はいつも真っ直ぐに俺を求めてくる。その想いには迷いがない。

		 でも、俺はそれに素直に返せない。

		 銀次が真っ直ぐに俺を求めてくればくるほど、その想いは俺を困惑さ
		せる。

		 一片の迷いもない、純粋で正直な眼差し。

		「…………。」

		 黙ってしまった俺を、銀次は暫し無言で見つめていた。俺も銀次から
		視線を外せずに、ただ黙って奴を見つめていた。

		「………ごめん。蛮ちゃん。蛮ちゃんが答えられないの、分かってるの
		に無理言っちゃって。」

		「……銀次……。」

		 苦笑して、銀次は俺から離れた。

		 こういう時、折れるのは大抵銀次のほう。

		 知ってるから。俺が素直になれないことを。

		「蛮ちゃん。甘い物苦手なのに食べてくれてありがとv大好きだよv」

		 そう言って、銀次は俺に笑いかけた。

		 ちっ。無理しやがって。ホントは違うもんが欲しいくせに。

		 俺が甘いもん苦手だからってことも考慮の内かも知んねぇが、それで
		もミントチョコを選んだのは、やっぱどこぞの女子高生の言葉が決め手
		だったんだろう。その時点で、銀次が何を求めてっか明白ってもんだ。

		 ……分かってて答えてやらねぇんだから、俺も意地が悪ぃんだけどよ。
		ってか、素直じゃねぇって言うか。

		 大体、銀次の奴も悪ぃんだ!俺が素直になれねぇの、知ってやがるく
		せに、いちいち「いい?」って訊きやがるんだからよ!んなこと訊かねぇ
		でその気にさせてくれりゃ、俺だって………。

		 ……ったって無理だよなー、銀次(こいつ)じゃ。そんな芸当、求める
		ほうが酷ってもんだ。

		 「俺の嫌がることはしない」を信条にしてるこいつじゃ、夏彦みたい
		にって訳にゃいかねぇもんな。

		 かと言って、あいつみたいになんでもかんでも自分本位に事を進めら
		れんのも大迷惑なんだが。

		 銀次にそれを望めねぇ以上、俺が頷きゃ全て丸く収まることなんて、
		百も承知だ。分かってんだよ。

		 でも……。

		 出来ねぇもんはしょうがねぇだろ!?大体な、男なんだよ!俺は!な
		のになんで同じ男に抱かれなきゃなんねぇんだ!?なれっこねぇだろ!?
		素直になんてよ!

		 そりゃ、自分の体のこたぁ重々承知してるさ。銀次とすりゃ良いって
		のも、至極正論だし、一番良い事なのは分かってる。分かってるけど……。

		 ダメなんだよ。邪馬人にも言われたけど、でも、ダメだ。今更素直に
		なんて、どうやったらいいのか分かんねぇよ。

		 俯いたまま、俺は唇を噛み締めた。

		 でも、このまま借りっぱなしってのも、癪だよな。

		「………銀次。」

		「ほえ?何?蛮ちゃん?」

		「ついて来い。」

		「え?ちょ、ちょっと蛮ちゃん!?」

		 足早に部屋を出た俺の後を、銀次が慌てて追いかけてくる。それを確
		認して階段を降り、銜え煙草で新聞を読んでる波児の前を無言で通り過
		ぎた。

		「蛮?……銀次、蛮の奴どうしたんだ?」

		「分かんない。けど、どっか行くみたい。ちょっと行ってくるね。」

		「?ああ。気をつけてな。」

		 そんな波児と銀次のやり取りを背に、HONKY TONKを後にし
		た。

		「……ねぇ蛮ちゃん。どこ行くの?」

		「黙ってついて来い。」

		「わ、分かった。」

		 鋭い視線を向けて言えば、銀次の奴、飼い主に怒られた犬みたいにしゅ
		んとしやがった。

		 耳が垂れて、尻尾も項垂れて、そんななんとも情けない風体。今にも
		「ク〜ン」と鳴く声が聞こえてきそうだ。

		 しょーがねぇなぁ。これくらいで、んなしょげた顔すんなよ。ホント、
		犬みてぇ。

		 銀次の反応が可笑しくて思わず笑ってしまう。

		「……何笑ってんだよぅ。」

		「別にぃ。」

		 素知らぬ顔して答えれば、途端、銀次は頬を膨らませた。それにくす
		りと笑いかけて。

		 ……立ち直りの早ぇ奴。もう笑ってやがる。何が嬉しいんだか。

		 にこにこと笑顔でついてくる銀次に半ば呆れながらも、俺は銀次を伴っ
		て目的地に向かってひた歩いた。

		「蛮ちゃん。目的地って、ここ?」

		 ものの数分も歩いて、着いたところはどこにでもあるコンビニ。首を
		傾げた銀次を他所に、中へと入っていく。

		「あ、待ってよ!蛮ちゃん!」

		 それを銀次が慌てて追いかけてくる。

		 店に入った俺は、迷わずお菓子コーナーに向かった。いろんな種類の
		お菓子が並んでいる中、目的のものを手に取る。そのまま足早にレジへ。

		「ば、蛮ちゃん?え?え?」

		 困惑してる銀次はこの際無視。

		 店員の目が痛かったが、それも無視して金を払ってとっとと店を出た。

		 ……くそー、なんだよ、俺がこんなもん買っちゃ悪ぃってのか?いー
		じゃねぇかよ、人が何買ったって。第一、俺ぁ客だぞ?大事な"お客様"
		をそんな目で見て良いと思ってんのか?ちくしょー。

		 レジの店員の視線に腹が立ったが、もう二度と来なきゃ良いと自分を
		納得させた。

		 戻ってきた俺たちに、波児が一言「おかえり。」と言ったが、それに
		答えもせず、行き同様無言で通り過ぎる。(ちなみに銀次は返事をして
		いた。)そうして二階の部屋へ。

		「…蛮ちゃ……。」

		「銀次。」

		 何か言いかけた銀次を遮って、ジェスチャーだけで俺のそばに来るよ
		う促す。

		 俺の手招きに応じるように、銀次がすぐそばまでやってくる。

		 複雑な表情。さっきコンビニで俺が買ったものの意図が分からなくて、
		困惑してる感じ。期待も少し混じってっか。

		「蛮ちゃん。さっきの……。」

		「銀次。目、瞑れ。」

		「え?あ、うん。」

		 俺の言葉に素直に目を閉じる銀次。

		 ホントに素直だよな、こいつ。……ちょっと羨ましいかも。

		 なんて思ってしまった。

		『羨ましいならお前も素直になればいいだろ?蛮?』

		 なんて邪馬人の言葉が聞こえてきそうだ。

		 分かってんよ。んなこと。でもしょーがねぇだろ?出来ねぇもんは。

		「……蛮ちゃん?」

		 一向に何の行動も起こさない俺に焦れて、それでも目を瞑ったまま、
		銀次が声をかけてきた。

		 おっと、そんなこと考えてる場合じゃねぇ。さっさと済ましちまわな
		きゃな。

		「まだそのままでいろよ?」

		「うん……?」

		 訳が分からないながらも頷く銀次。

		 素直な相棒に、この時ばかりは感謝しつつ、急いで買ってきたものの
		包みを開ける。

		 ガサガサという音に、銀次の頭上に"?"が浮かんだ。

		「……銀次。口、開けろ。」

		「こう?」

		「……そんなに開けなくたって良い……。」

		 バカみたいにあんぐりと口を開けた銀次に呆れながらも、俺は銀次の
		首に腕を絡ませた。

		「ば、蛮ちゃんっ!??」

		 突然の行動に、銀次は戸惑いを隠せないようだ。

		 そりゃそうだよな。俺からこんな風に腕を絡ませるなんて、滅多にねぇ
		んだから。

		「いーから。そのままでいろ……。」

		 銀次の奴、緊張に硬直してやがる。んな風に緊張されっと、こっちま
		で緊張すんだろが。

		 気を落ち着けるため、ひとつ深呼吸をする。そうして俺は、意を決し
		て銀次に顔を近づけた。

		「……………。」

		 ……甘……。やっぱミルクチョコなんざ食うもんじゃねぇな。

		 口直しに、さっき飲んだお茶の残りを飲み干す。程よい苦味が、口の
		中に残っていた甘ったるい感じを拭い去ってくれた。

		 ふと、銀次が固まったままなのに気づいた。

		「……銀次?」

		 呆然と突っ立ったままの銀次に声をかける。が、返事がない。

		「?おい?銀次?」

		「……蛮ちゃん……。」

		 二度目の呼びかけに、ようやく口を開く。

		「今の……。」

		「あ?お返しだよ、お返し。チョコのな。」

		 照れも手伝って、素っ気なく答えを返す。

		 口移しのお返しなんて、そうそう貰えるもんじゃねぇぞ?感謝しろよ?
		銀次。

		「蛮ちゃん!」

		「うわあっ!?な、なんだ!?」

		 背中を向けてた俺に、銀次がいきなり抱きついてきやがった。

		 いきなり抱きついてくんな!びっくりすんだろが!?

		「もっかい!もっかいして!俺、びっくりして味分かんなかった!!」

		「ふざけんな!味が分かんなかったんなら、これで分かんだろ!?」

		 せがむ銀次の口に、端の欠けたハート型チョコを突っ込む。

		 あんなこたぁ、一回で十分だ!そうそう何度も出来っか!

		「はん(ばん)しゃん(ちゃん)ふめ(冷)はい(たい)……。」

		 口をむぐむぐさせたまま上目遣いで俺を見る銀次。それに鋭い視線を
		送れば、さっきまで立ってた耳と尻尾が見事に垂れ下がってしまった。

		 面白ぇ奴。俺の一挙手一投足にここまで反応すんだもんな。

		「……わ(わ)はった(かった)……。」

		 思わず笑っちまった俺に、銀次が一歩踏み出した。

		 なんか、妙なオーラ纏ってねぇか?

		 そう思ったのも束の間。電光石火の動きで俺を引き寄せると、銀次の
		奴いきなり口付けてきやがった!

		 このバカ銀次!こんな時だけんなスピード出すんじゃねぇ!!

		「バ……!?銀…っっんっっ!」

		 俺の抵抗をものともせず、腰を抱いて深く口付けてくる。奴の舌が俺
		の口内を蹂躙して……。

		 くそっっ。力入んねぇっっ。

		 銀次の奴に好きなようにされてすっげームカついたが、でも力が入ら
		なくなっちまった俺は、どうすることも出来ず、ただ銀次の口付けを受
		け止めるしか術がなかった。

		 ようやく解放された時には、情けないことに完全に腰が抜けちまって
		て、俺は無様にもその場にへたり込んじまった。

		「蛮ちゃん……。」

		 嬉しそうな奴の声が、俺の耳元をくすぐる。声の振動がくすぐったく
		て、俺はその……思わず反応しちまった。 

		 テメ、銀次!耳に囁きかけんな!!大体さっきのはなんだ!?好きな
		ようにしやがって!銀次のくせに生意気だぞ!!

		 声にならない抗議を目に籠めて、俺は銀次を睨みつけた。が、効き目
		なし。銀次のヤロー、笑ってやがる!

		「大丈夫?蛮ちゃん。ホント弱いよね?ここ。」

		 俺の抵抗が少ないのをいいことに、なおも執拗に耳に囁きかける銀次。
		至極嬉しそうなのがまたムカつく。

		「テ…メ……調子に乗ってんじゃ……っっ。」

		 言いかけた俺の耳に、銀次のヤロー、こともあろうに舌入れてきやがっ
		た!

		 そのぬめった感触に、思わず息を飲む。

		 俺の反応に気を良くした奴は、耳を刺激しながら背中に指を這わせ出
		した。

		 ぎ、銀次!テメ、何考えてやがる!!誰もしていいなんて言ってねぇ
		ぞ!?こら!離しやがれ!!

		「……ちょ…しに乗んな!!」

		 そう叫んだのと俺の拳が銀次の横っ面を捉えたのとは、ほぼ同時だっ
		た。

		「いってーっっっ!!」

		 盛大な銀次の叫び声。

		 あまりの大声に、波児が何事かと階段を上がってきた。

		「おい、どうしたんだ?何かあったのか?」

		「なんでもねーよ!!銀次のバカがボケかましただけだ!!」

		 ドア越しにそう怒鳴って。

		 それに納得したのかしないのか、

		「ならいいが、ほどほどにしろよ?」

		 そう一言残して、波児は階段を降りていった。

		 言えるか!銀次にされそうになって殴っちまったなんて!みっともねぇ!

		 だからヤなんだよ、ここじゃ。ちっと声あげりゃ、波児にまる聞こえ
		なんだからよ。

		「銀次。目、覚めたか?」

		「……覚めましたぁ……。」

		 半べそで情けない声を出す銀次にも、今度は笑えねぇ。

		「言ったよな?ここじゃしたくねぇって。忘れたか?」

		「……忘れてない。……けど、だってもう2ヶ月もしてないんだよ?欲求
		不満で俺、死にそう。」

		 そう言って大袈裟に項垂れる銀次に呆れずにはいられない。

		 欲求不満で死んだ奴なんざ、聞いたことねぇぞ。

		「んなことで死ぬか!!大体なー。その2ヶ月前のだって、俺は嫌だって
		のにテメー、無理矢理事進めたろうが!」

		「だってーっっ。変な夢見て不安だったんだよぅっっ。それに俺ばっか
		り楽しんだみたいに言うけど、蛮ちゃんだって気持ち良さそうだったよ!
		良かったんでしょ?ホントは。」

		「うるせー!!とにかくここじゃ、もう二度としねぇからな!?分かっ
		たか!?バカ銀次!!」

		「あう〜。分かったぁ……。」

		 多分、顔は赤かったんだと思う。その自覚はあった。いつもの迫力な
		んざこれっぽっちもなかったんだろうが、それでも素直に銀次が頷いた
		のは、あんま俺を怒らすと、それこそ下手すりゃ何ヶ月もやらせてもら
		えなくなるから。それに尽きる。

		 ホント、要領悪ぃ奴。

		 思わず溜め息をついて、そのまま俺はドアへと向かった。

		「蛮ちゃん?どこ行くの?」

		 途端、不安そうな銀次の声がかかる。

		 あんな。んな声出すなって。別に行方くらまそうなんざ考えてねぇか
		ら。それに、もう怒ってねぇよ。

		「口が甘ったるくなっちまったからな。コーヒー飲んでくる。」

		「あ、うん。」

		 背を向けたままそう答えれば、俺の言葉に安心したのか銀次の声が幾
		分明るくなった。

		 マジで犬みてぇ。

		 飼い主(俺)の一挙手一投足に一喜一憂する大型犬(銀次)。

		 そんな構図が頭に浮かんだ。それがあまりに的を射過ぎていて、堪え
		ようもなく、俺は低く笑い出した。

		「蛮ちゃん?」

		 怪訝そうな銀次の声。

		「来年は俺からやんよ。」

		「……え?」

		 振り向きざま笑ってそう言えば、意味が分かんなかったらしい。銀次
		は呆けた顔で俺を見た。それに誘うような笑みを向けて。

		「今回みたいのはごめんだからな。」

		 おまけにウインクまでしてやれば、途端、銀次の顔が真っ赤になった。

		「じゃ、コーヒー飲んでくらぁ。」

		 そう一言残して部屋を出た。

		 後ろ手に扉を閉ると、ポケットから取り出した煙草に火を点け深く吸
		い込んだ。そうしてゆっくりと階段を降り始める。

		「ヤッター!!!」

		 階段を降りている途中、銀次の叫び声が聞こえた。

		 ホント犬だな。面白ぇ奴。

		 思わず笑ってしまう。

		「今の銀次か?お前たち、さっきから何やってんだ?」

		 階下から顔を覗かせた波児が心配そうに俺に問いかけてきた。それに
		笑い返して。

		「別に。心配するこたねぇよ。春だからな。浮かれてるだけだろ。」

		「春だから……?」

		 俺の言葉に、波児は首を傾げた。

		 まだ確かに寒いけどな。暦の上じゃ、もう春なんだぜ?ま、銀次(や
		つ)にゃんなこた関係ねぇんだろうけど。

		 俺の言動に、春んなったり冬んなったり忙しい奴だからな。見てて面
		白ぇけどよ。

		「波児。ブルマンな。」

		 カウンター席に腰掛けながら、俺は笑みを浮かべたままそう注文した。



		
		THE END






		珍しくも、蛮ちゃんサイドから書いたお話です。
		実は私、蛮ちゃんサイドから話を書くのは苦手なんです(^^;)
		理由はあえて語りませんが。
		ま、それはさておき、実はこの話、「Noel」の後なんです。
		ですから、銀次が言ってた「変な夢見て不安だった」はあの夢の
		ことなんです(笑)旧「中沢堂」で読んでくださっていた方々、
		これで納得いかれましたでしょうか?
		まぁ、あれを読まなくても差し障りはこれっぽっちもありません
		が(笑)いちよう自分の中ではそういう流れなので。
		そして今年に至ると。
		そちらはもう少しお待ちください(汗)出来次第UPします。
		しかし・・・甘々(笑)