ANGEL NIGHT〜天使のいる場所 「波児さん、蛮ちゃん来てる!?」 そう言って飛び込んできた銀次は、既に汗だくだった。 暖かくなったとはいえ、4月もまだ半ばだというのにその状態の銀次に、 波児は問いに答える前に逆に聞き返してしまった。 「銀次?なんでお前汗だくなんだ?」 「俺のことなんかどうでもいいんだってば!蛮ちゃんは?朝からずっと捜 してるんだけど、ここには来てない!?」 言いながら辺りを見回す。が、蛮の姿はどこにもなかった。 「蛮なら来たぞ。」 その言葉に反射的に波児を見る。そして、今にも食いつかんばかりに質 問してきた。 「来たの!?今どこ!?ケータイにかけても繋がんないし、どこに行った の!?」 必死の形相で尋ねる銀次に、とにかく落ち着けと、コーヒーを出してや る。それを飲んで少しは落ち着いたのか、脱力したように椅子に腰掛けた。 「落ち着いたか?」 「うん。ごめん、波児さん。朝起きたら隣に寝てた筈の蛮ちゃんがいなく て、俺、気が動転しちゃって。新宿中捜し回ったけど見つからなくって、 ようやくここならいるかもって思い至ってきたんだ。」 言葉通り駆け回っていたのだろう。喉が渇くのかコーヒーのおかわりを 頼んで、それも一気に飲み干す。 「なるほど。蛮から伝言言付かってるぞ。」 「蛮ちゃんから!?え!?なんて!?」 「『5時に新宿東口のマクドナルドに来い』だとさ。」 「ええ〜〜〜!?何それ?それと朝からいなくなっちゃったのと、ケータ イの電源切ってるのと関係あるの?俺すっごく心配したのにーっっ。」 蛮の伝言を聞いて脱力したように、銀次はカウンターに突っ伏した。 「さーなあ。その辺はなんとも言ってなかったぞ?」 「うにゃー……。なんかどっと疲れた……。」 蛮が結局どこへ行ったのかは分からず仕舞いだったが、とりあえず、5 時に指定された場所に行けば蛮に逢えることが分かり、胸を撫で下ろした。 「そういや、今日はお前の誕生日だったな?」 ふと思い出したように波児が呟いた。それに、銀次は虚ろな視線を向け た。 「うん……ま…ね……。」 よりにもよって自分の誕生日に、蛮が無言でいなくなってしまったのを 拗ねているようだ。 「おめでとさん。そーいや夏実ちゃんから預かりもんがあったな。」 これまた思い出したように言って、後ろの戸棚から包みを取り出した。 「ほらよ。」 「ありがとvわー、なんだろv」 包みを開けてみる。中には手作りらしいクッキーがたくさん入っていた。 「わーvおいしそーvいっただっきまーすv」 そう言って食べ始める。 「おいしーv」 「今日のコーヒーは俺の奢りだ。好きなだけ飲んで良いぞ。」 「え?ホント?わーいv」 蛮の誕生日プレゼントとはかなり差があることに銀次は気づかぬまま、 嬉しそうにクッキーを食べ、コーヒーを飲んでいる。こんな風に少々抜け ているところが銀次らしい。 「これで蛮ちゃんが隣にいればなー、サイコーなんだけど。」 ふっと溜め息をつく。 『まさか俺の誕生日忘れてるんじゃ……いやいや、蛮ちゃんに限ってそん なこと絶対ないよ!』 自分で考えた嫌な考えを、慌てて否定する。 「でも蛮ちゃん。今どこで何してんだろ……?」 「さーなあ。」 「こんにちは。銀次さんいますか?」 来訪を告げるベルの音と共に現れたのは、花月だった。声をかけながら 中に入ってくる。 「あ、カヅっちゃん。ヤッホー♪」 「ああ。やっぱりいましたね。誕生日おめでとうございます。銀次さん。」 そう言って、銀次の隣に腰掛けた。 「えー?覚えててくれたんだvうれしいなーv」 「もちろんですよ。ところで、美堂くんは?」 当然のようにいつも一緒にいる筈の蛮の姿がどこにもないことに気づき、 花月は首を傾げた。 「うん。俺も朝から捜してたんだけど、どこにいってるのか分かんなくっ て。」 「美堂くんが?そうですか……。ところで、銀次さん。」 「?何?」 「これ、僕からのプレゼントです。」 「俺に?わーいvなんだろ?開けて良い?」 嬉しそうに受け取って、銀次は白い封筒の中身を取り出した。 「ほえ?お食事……券?」 「ええ。今月末まで使えますから、美堂くんと二人で行ってきてはどうで す?」 「うんvありがとーカヅっちゃんv」 蛮の時と違って、見事なまでに食べ物関係のプレゼントばかりというの が銀次らしいなと、波児は苦笑した。まあ自分も人のことは言えないのだ が。と言うより、実はすっかり忘れていたのだ。 「波児さん。とりあえず、5時になるまでここにいて良いかな?」 「ああ。好きにして良いぞ。」 なので、銀次からの頼みに、後ろめたさも手伝ってあっさりOKを出す。 「ありがとー。」 嬉しそうな銀次の顔を見ていると、もう少しマシなプレゼントを用意し てやれば良かったかなと考えてしまう波児だった。 「えーと、ここだよね……?」 蛮の指定した場所に、同じく指定された時間に銀次はやってきた。 蛮の姿を捜して辺りを見回す。と、突然後ろから小突かれた。 「いてっ。誰だよ……。」 振り返った瞬間、思わず抱きつく。柔らかく笑みを浮かべている蛮の姿 がそこにはあった。 「蛮ちゃんv」 「時間どーりじゃねーか。銀次。」 「蛮ちゃんv蛮ちゃんvもー俺、蛮ちゃん捜して新宿中捜し回ったんだ よ!?どこ行ってたの!?」 「新宿中って、オメー、波児に伝言聞いたんじゃねーの?」 銀次の言葉に呆れたように苦笑する。 「聞いたよ。だから来たんじゃん。でも……。」 まだ何か言いたそうな銀次を制す。入り口付近で男二人が抱き合ってい るという一種異様な光景に、周りの注目を集め始めていたからだ。とりあ えず飯を食おうと席に着く。 「で?何が食いてぇ?今日は俺の奢りだ。好きなもん食わしてやるぜ?」 笑みを浮かべた蛮に、銀次は目を輝かせた。 「ホント!?じゃーね、俺、ビックマックにダブルチーズバーガーに、そ れから……。」 銀次の注文の多さに、苦笑を禁じえない。よくそんなに食べられるもの だと思う。それでも銀次の注文通り買うと、ハンバーガーの山になったト レイを運んでくる。 「ほらよ。」 「わーいvいっただっきまーすv」 嬉しそうにそう言って、次々と平らげていく。 その様に、周りの視線が集まる。蛮もその食べっぷりの良さには呆れて しまった。 「しっかし、良く食うな……。見てるこっちが胸焼けしそーだぜ。」 溜め息混じりにそう言って、自分用に買ってきたビックマックの包みを 開ける。そうしてそれをゆっくりと食べ始めた。 「蛮ちゃんそれだけ?」 「あ?ああ。あと、ポテトはあんぜ。」 「少なくない?」 銀次の基準からすると、確かに蛮の量は少ないと言えただろう。だが、 それはあくまで銀次を基準とした場合であって、一般に比べて蛮の量が極 端に少ないわけではない。現に、これだけの量を食べ尽くさんとしている 銀次に、周りの視線は寒かった。 「別に普通だろ。オメーが食い過ぎなんだよ。」 呆れたように言葉を吐き出す。だから俺とほとんど身長変わんねーくせ に、4kgも重いんだろーが、と付け加えて。 「だってしょーがないじゃん。お腹空くんだもん。」 タレて、それでも頼んだものを全て平らげてしまった。 「ねー蛮ちゃん。今日何の日か、覚えてる?」 恐る恐るといった風に、銀次は蛮に尋ねた。もし、「いや、知らねー。」 と言われたらどうしようと、密かに危惧しながら。 「あ?オメーの生まれた日だろ?」 さらっと言われて、安堵の溜め息を洩らす。そうして嬉しそうに笑った。 「覚えててくれたんだーvへへv」 「バーカ。俺を誰だと思ってんだよ?オメーと違って記憶力は確かだぜ?」 「そーだけどさー。だって、朝起きたら隣で寝てた筈の蛮ちゃんの姿はな いし、ケータイかけても繋がんないし。だから俺、新宿中捜し回ったんだ からね?」 タレてビチビチと抗議をする。 しかし、そう抗議されても、と蛮は思った。 『そーいうときゃ、まずHONKY TONKに行くもんじゃねーのか? 普通。』 まず銀次もそこに行くだろうと蛮も思ったからこそ、波児に伝言を頼ん だのだ。しかし実際には、銀次がHONKY TONKに行ったのは新宿 中駆け回った後で、予想を遥かに上回る抜けぶりに、蛮も失笑してしまう。 それだけ蛮の姿が見えなくなったことに動転したとも言えるが。 「あー悪かった。まずHONKY TONKに行くと思ったんだよ。」 「行ったから良いけどさー……。でも、なんで?」 「あ?なんでって、外で待ち合わせたほうが、気分が出んだろ?」 そう言って笑った蛮は凄絶に綺麗で。銀次は思わず見惚れてしまった。 「……え?気分って?」 たっぷり5分は見惚れて、ふと我に返って蛮の言葉に疑問を唱える。 「オメーの誕生祝の、さ。焦らされた分、嬉しいだろ?」 確信に満ちた聞き方に、だがその通りだなと考えて嬉しそうに笑い返し た。 「うんvうれしいv」 「さてと。食い終わったんなら行くぞ?」 飲んでいたウーロン茶のカップを置いて、蛮は徐に立ち上がった。 「え?どこへ?」 「黙ってついてこいよ?銀次。」 艶やかに笑う蛮に誘われるまま、銀次はふらふらと蛮について店を出た。 「………ば…蛮ちゃん………。」 蛮に連れられるまま訪れた場所に、銀次は呆然としたままだった。バカ みたいにぽかんと口を開けて突っ立っている。 「銀次。何惚けてんだよ?ちゃんと起きてっか?」 そんな銀次の様子に、蛮は楽しそうに笑っている。それがまた艶やかで 綺麗で、これまたぽかんとした顔で、銀次は蛮に見惚れた。 「……蛮ちゃん……ここ、どこだか分かってるよ……ね?」 たっぷり10分は惚けていただろうか。ようやく我に返って、疑問を口 にする。しながら、我ながらバカな質問をしているなとは思ったが、せず にはいられなかったのだ。 「ああ?バカか?誰がここにオメーを連れてきたと思ってんだよ?」 呆れたように言う蛮に、やはりバカな質問だよなと苦笑する。しかし、 ならこれは、一体何の気まぐれなのだろう。それともこれは夢なのだろう か。あまり賢いとは言えない頭で、それでも銀次は懸命に考えた。 「……蛮ちゃん……これ、夢じゃないよね?」 「オメーは起きたまま夢見んのか?銀次。」 そう言って笑う。すごく楽しそうな笑みだ。 言われて頬を抓ってみる。痛かった。ということは―――――。 「ええ!?だって蛮ちゃん、ここ、ラブホテルだよ!?ラブホテルっていっ たら、Hするとこだよ!?え?だって、なんで蛮ちゃんがっ!?ええ えっ!???」 ほとんどパニックに陥っていると言っていい銀次に、蛮は艶やかに笑み を浮かべてその首に腕を絡めた。 「バーカ。分かってんよ。それとも、したくねーのか?」 誘うように艶やかに微笑まれて、まさか銀次が異議を唱える筈がない。 銀次は千切れそうな勢いで首を横に振った。 「し、したくないわけないじゃん!!もー蛮ちゃんに触れたくて触れたく て仕方ないんだから!!!」 衝動のままに蛮の細い体を抱き締めて、その存在を確かめる。蛮の方か らホテルに誘うなんて夢のような話に、しかしこの腕の存在がこれは夢で はないと確信させてくれて、銀次はさらに強く蛮を抱き締めた。 「蛮ちゃんv大好きv大好きだよv」 「ああ。俺もだ。銀次。」 呟くように言われた言葉に、銀次は目を見開いた。抱き締めていたその 腕を緩め、蛮の顔を呆然と見る。当の蛮は銀次を見つめたまま、艶やかに 笑みを浮かべている。 これは夢だろうか。さっきから思っている疑問を、銀次は再び脳裏に浮 かべていた。 「え……?蛮ちゃん……今、なんて……?」 「好きだぜ。銀次。」 嫣然と微笑んで、銀次の頬にそっと触れ、軽く口付ける。囁くように甘 い言葉に、銀次の思考は完全に停止してしまった。 「銀次。何惚けてんだよ?嬉しくねーのか?」 くすくす笑う蛮に、ようやく銀次は我に返った。 「う、うれしいに決まってんじゃんっ!!ホント!?蛮ちゃんvvvvvv」 「ああ。」 大喜びしている銀次に、蛮は小さく答えた。それでも信じられなくて、 銀次はもう一度自分の頬を抓った。やはり痛い。 「何やってんだよ、銀次。」 「だって夢みたいで……。俺、生きてて本当に良かったvvv」 嬉し過ぎて今にも泣きそうな銀次に、蛮は苦笑を禁じえない。ここまで 喜ばれると、言ったこちらが照れるというものだ。 「そんで?満足しちまって良いのか?」 途端、勢いよく首を振る。 「蛮ちゃんと気持ち良くなりたいです!……その、蛮ちゃんが良ければ、 だけど……。」 「良くなきゃこんなとこ、連れてこねーよ。」 くすりと笑って、蛮はもう一度銀次に軽く口付けた。 「シャワー……浴びようぜ?」 囁かれた言葉に、銀次はただ頷くだけだった。 バスルームに移動すると、蛮はためらいもなく服を脱ぎ始めた。 露になる白い肌に、さっきから銀次の心臓は早鐘を打ちっぱなしで、そ れでいて脳は酸欠状態でくらくらする。それでも蛮に嫣然と微笑まれれば、 のぼせた頭でも服を脱いでしまうのだから、我ながら浅ましいと言おうか 何と言おうか。とにかく、自分も服を脱ぎ捨てた。 「……蛮ちゃん……。」 まだ、もしかしてやっぱりこれは夢かもという思いは抜けなかったが、 それでも、抱き寄せた蛮の体温に、夢でも構わないと思う。 「蛮ちゃん……大好き……大好き…もー俺、幸せすぎて死んでも良い……v」 「バカ。死んだら俺に、二度と触れねーんだぞ?」 そう言われて、「それはやだ!!」と慌てて訂正する。 「死んでも良いくらい幸せだけど、でも絶対死なない!蛮ちゃんとずっと 一緒にいるって、約束したもん。ね、蛮ちゃんv」 「ああ。」 鮮やかな笑みに、引かれるようにその頬に触れる。 誘うように綺麗な笑みを浮かべ、蛮は静かに目を閉じた。 蛮の行動と、少し低いその体温が銀次の劣情を煽り立てる。 「蛮ちゃん、大好き。大好きだよ……v」 万感の想いを込めて、銀次は蛮に口付けた。 軽く触れただけなのに、それはまるで媚薬のように甘くて、頭の芯が痺 れる。 「銀次……。」 求めるように首に腕を絡めてくる蛮の体を深く抱き込んで、口付けを交 わす。何度も、何度も。少しずつ熱くなる吐息に、色づく肌に、目眩がし てもう、銀次は気を失ってしまいそうだった。 「銀次……銀…次………。」 うわ言のように繰り返される自分の名も、零れ落ちる吐息も、何もかも 甘くて。 今まで歩んできた人生の中で最も幸福な誕生日に、いっそこのまま時が 止まれば良いのにと、そう願わずにはいられなかった。 「いらっしゃいませー。」 来客を告げるベルの音に、夏実は明るく声をかけた。 「あ、銀ちゃん。こんにちはー。」 「こんちは、夏実ちゃんv昨日はクッキーありがと?おいしかったよ。」 「どーいたしまして。」 笑顔で昨日のお礼をすると、銀次はカウンター席に腰掛けた。そうして コーヒーを注文する。 「ところで、蛮さんは?」 蛮の姿がないことに気づき、夏実は首を傾げた。いつも一緒の姿にそれ が当たり前になっていたから、銀次一人というのに違和感を覚えてしまう。 「蛮ちゃん?今、煙草買いに行ってるよ。もうすぐ来ると思うけど。」 「そっかー。なんか二人一緒じゃないと変な感じがしますね。」 夏実の言葉に、「そりゃ二人は『イッシンドウタイ』だからv」と答え て、後ろから殴られる。 「テメーはまた、勝手に決めんなって言ってんだろ。」 いつの間に来ていたのか、拳を握り締めている蛮が後ろに立っていた。 「蛮ちゃんv早かったね。」 全然懲りてない銀次が、満面の笑顔を浮かべて蛮を見る。それに苦笑し ながら、蛮は銀次の隣に腰を下ろした。 「波児、ブルマン。」 「注文の前に言うことがあるんじゃないか?蛮。」 「あ?ああ。昨日は助かったぜ。っつうわけで、ブルマン一つな。」 今ひとつ感謝の気持ちが足りない気がしたが、相手は蛮だ。仕方ないな と肩を竦めて、注文の品を出してやる。 「で?結局昨日は蛮に逢えたのか?銀次。」 5時近くまでここで時間を潰した銀次は、蛮の伝言通り指定された場所 に行った筈だ。普通に考えれば出逢えたはずだが、銀次のほうから一向に 話が出ないので、訊いてみる。 「え?昨日?えーっと……?なんだっけ?」 首を傾げた銀次に、波児のほうが驚いてしまう。 「おいおい。昨日ここへやってきて、蛮からの言付け聞いて出かけたろう? あんだけ大騒ぎしてたんだぞ?」 「あ、ああ。そーいえば。うん大丈夫?ちゃんと逢えたよv」 思い出したように言って、笑ってみせる。 なんだかどこか変な感じがして、波児は首を傾げた。 あれだけ大騒ぎで店に飛び込んできたというのに、それを忘れるなんて あるだろうか。 そういえば、銀次がここに現れる少し前に、蛮から電話が入ったのを思 い出す。銀次の昨日の行動と、誕生日プレゼントとして貰った物について 質問され、「なんでそんなこと知りたがるんだ?」と思いながらも、教え てやったのだ。 『それと何か関係でもあるのか?』 ふと蛮を見れば、頬杖をついたまま小さく笑っている。楽しそうな笑み に、蛮が何かを銀次にしたことが分かる。が、さすがに何をしたかまでは 分からなかった。 「会った途端、「新宿中捜し回った。」なんて言われてよ。するか?普通。」 「だって、起きたら蛮ちゃんいないし。ケータイにかけても繋がんないし。 心配だったんだよぅ。」 タレて反論する銀次に、蛮は苦笑している。 「何を心配しなきゃなんねーんだよ。タコ。だいたいそーいうときゃ、ま ずここに来るもんだろ?」 「あうー。」 蛮の言い分に、さすがに言い返せない。銀次はタレたまま頬を膨らませ た。 「蛮さんから何かもらったんですか?銀ちゃん。」 不意に、夏実が笑顔で話しかけてきた。それに、銀次は首を傾げた。 「もらった……気がするけど……?」 「気がする?」 「やっただろーが。マクドで食ったろ?俺の金で目一杯。」 そう言って蛮に小突かれて、「うきゅぅ」と唸る。 「食べた。けど、あれがそーなの?そりゃおいしかったけど……。」 「あ?なんだよ。文句あんのか?」 「ないです。」 鋭い視線で睨まれれば、あまり機嫌を損ねては、この先また何ヵ月もお 預けをくらいそうで、仕方なくおとなしくする。それでなくても蛮の誕生 日からこちら、全然させてもらえないのだから、これ以上お預けをくらい たくはないというものだ。 そこまで考えて、ふと首を傾げる。4ヵ月もお預けをくらっている筈な のに、なんだかちっともそんな気がしないのは気のせいだろうか、と。そ う考えると、体もあちこち痛いし、ちゃんと寝た筈なのに疲れているよう な気がしてくる。どういうことだろう。 タレたまま腕を組んで考え込んでいる銀次に、蛮は問いかけた。 「何考え込んでんだよ?」 「ん〜???……なんか忘れてるような気が……?ねー蛮ちゃん。昨日さ、 ごはんの後、なんかなかった?」 「あったぜ。」 さらりと言われた返事に、驚いたように蛮を見る。 「何が!?」と尋ねたいのを雄弁に語っているその目に、あっさりと答 えを出してやる。 「マクドで飯食って、それから新宿ぶらついてゲーセンでちっと遊んで。 んでもって車に戻って、はい、おやすみ。以上が昨日の俺とお前の行動だ。 で?他に訊きてーことは?」 左手で頬杖をついてこちらを見る蛮のその言葉に、銀次は首を振った。 そういえばそうだったかな。うん。蛮ちゃんがそう言うんだから間違いな いよね。と納得して。 「じゃ、蛮さんからは食事だけだったんですか?」 「おう。夏実ちゃんもこいつにクッキーやったんだろ?絃巻も食事券だっ たしな。波児はコーヒー飲み放題だって?見事に食い物ばっかだったな、 銀次。」 そう言って笑う。ま、銀次にゃそれが一番だろーけど、と続けて。 「おっと。そーいや小僧からメールが来てたぜ?」 思い出したように蛮は携帯を取り出した。そうして、MAKUBEXから送ら れてきた短いメッセージを画面に表示する。 『銀次さん 誕生日おめでとうございます MAKUBEX』とだけの簡単な ものだったが、ちゃんと覚えていてくれた、それだけで嬉しかった。 「蛮ちゃん。MAKUBEXに『ありがとう』って送っといてくれる?」 嬉しそうに笑って返信を頼む。 蛮にしてみれば返信を打つ義理はこれっぽっちもないのだが、銀次が携 帯を扱えないのだから仕方がない。億劫そうに、それでもメールを送って やった。 「そーいや、猿マワシからはなんもなかったな?」 MAKUBEXで思い出したのだろう。無限城絡みで唯一名前の出ていなかった 士度の話題を口にする。士度の話題に、銀次は微妙な顔をした。 「銀次?」 「あ、なんでもないよ。そだね。きっと、忙しいんだよ。」 「そういや、ヘブンちゃんが仕事頼んでたな。」 思い出したように呟いた波児の言葉に、蛮はあからさまに不機嫌な顔を した。 「あんのケダモノが!人の仕事取ってんじゃねーよ!」 そう言って拳を握り締めた蛮の姿に、銀次は安心したような笑みを浮か べた。それに目敏く気づき、蛮は眉を顰めた。 「あ?何笑ってんだよ?銀次。仕事取られたんだぞ?」 「あ、ごめん。そだね。まったく士度にも困るよ。」 そう言ってわざとらしく腕を組んで頷いてみせる。それが気に障ったの か、蛮は銀次を殴りつけた。 「いたーっっ。なんで殴んのー!?」 「うるせー!」 有無を言わせぬ蛮の態度に、銀次は出来たたんこぶを摩る。完全にそっ ぽを向いてしまった蛮に、「あぅ〜。」とタレて項垂れながら、仕方なく コーヒーに口をつけた。 項垂れている銀次を他所に、頬杖をついたまま、蛮は昨日のことに思い を馳せていた。 マクドナルドで食事をした後、ホテルで何度も抱き合ったことも、その 時蛮が銀次に言った告白も、いつもよりずっと素直な行動も、その全てを 銀次は忘れてしまっている。剰え、蛮に教えられた『うそ』を信じている 始末だ。 『今んとこは大丈夫みてーだな。ま、思い出しそうになったらまた嗅がせ りゃいーか。』 銀次に気づかれないように小さく笑みを浮かべる。 さっき波児と目が合った時、何か気づいたような顔をしていたから、波 児のことだ、銀次の記憶が変だということに気づいたのだろう。しかし、 どうしてそうなったのかまでは分かっていないだろうし、もし仮にそれに 気づいたとしても、波児なら大丈夫だろう。銀次にではなく自分に言う筈 だ。そう考えて、とりあえず放っておくことにする。 『波児になら、後で事情を説明しといてもいいしな。』 波児なら蛮の気持ちを察して、それを銀次に話すこともないだろうし。 そう思い至る。 しかし本当に便利だと、思わずポケットに忍ばせている小瓶に触れる。 これなら情事の後、それを銀次の奴にぺらぺら話されて恥ずかしい、なん て思いをしなくて済む。それに、相手が綺麗さっぱり忘れてくれるなら、 いつもは意地と照れが手伝って言えないことも伝えられる。それだけでな く、常に嫌われるかもしれないという恐れと共に考えずにはいられない、 銀次の前で演じてしまっている多少どころかかなりの醜態も、その時だけ は見せてしまっても、なんとか取り繕いようもあるのだから。 やはり貰って正解だったと、もう一度心の中で笑みを浮かべた。 『最初、卑弥呼の奴、出し渋ってやがったもんな…。』 それは3月も半ば頃のことだった。 銀次にはいつものように「煙草を買いに行く。」と言って別行動をとり、 卑弥呼を携帯で呼び出したのだ。(しかしこの手も、一人になりたい時の 常套手段になっているため、さすがの銀次も訝しみ始めている。そろそろ 別の手を考えなければならないかもしれない。) とある公園で落ち合い、蛮はそれに係わる一切の説明もせず、用件だけ を簡単に告げた。 「え?蛮、今なんて?」 蛮の言葉に、何かの冗談かと思って聞き返す。 「あ?聞いてなかったのか?『忘却香』くれって言ったんだよ。」 足元に擦り寄ってきた猫を抱き上げながら、蛮は事もなげにそう言った。 その言葉に先の言葉が聞き間違いではなかったことを知る。穏やかな笑 みを浮かべて猫をあやしている蛮に、卑弥呼は溜め息をついた。 「珍しくあんたからの呼び出しに来てやれば、そんなこと?ったく、毒香 水はあたしの商売道具よ?いくらあんたでも「はいどうぞ」なんて渡せる 訳ないでしょ?」 「あ?ケチくせーこと言ってねーでよこせよ。」 どう聞いても人にものを頼む態度でも口調でもない蛮に、卑弥呼は呆れ たようにもう一度大きく溜め息をついた。 「……試しに訊くけど、『忘却香』で何するつもり?」 「仕事。」 「な?」と抱いている猫に同意を求めるように、あどけない笑顔でキス をする。銀次が見たら大騒ぎしそうな光景だ。 「仕事?なんの?」 「オメーにゃ関係ねー。が、どーしてもいるんだよ。卑弥呼。」 猫を抱いたまま、だが急に真面目な顔で見つめられれば、気まぐれだけ れど魅力的な、彼女の兄もとても好いていたこの美堂 蛮を、卑弥呼も憎 からず思っているため断り切れなくなってしまう。 『こんなことなら、連絡があった時に訊いとけば良かった。』 と思っても後の祭り。携帯越しならともかく、結局蛮に面と向かって頼 まれれば、よっぽどのことでない限り「NO。」とは言えないのだ。 「……分かったわよ。あげる。」 仕方ないと言ったように了承する。 「助かんぜ、卑弥呼。」 蛮の嬉しそうな笑顔を見れば、それでもちょっと嬉しい気になってしま う自分に気がついて、卑弥呼は再び溜め息をついた。 『兄貴の敵だってのに……。』 そう思うのだが、どうしても過去の楽しかった思い出が強すぎて、それ でも初めは「殺してやる」と本気で思っていたのだが、あの頃と変わって いない蛮を見ればそんな気も薄れてしまった。結局邪馬人同様、自分もひ どく蛮を好いているのだと、そう気づかざるをえない。とはいえ、それを 口に出しては言わないが。 「いつまでにいるの?」 「持ってねーのか?」 「仕事じゃないもの。で、いつまで?」 「ん。4月の頭に貰えりゃいい。」 「分かったわ。じゃ、その頃携帯に連絡するわ。それでいいわね?」 「ああ。」 卑弥呼からの連絡を待って、もう一度会うことを決め、その日はそのま ま別れた。 その後あった連絡時と、受取に行った時の二度、念を押すように「妙な ことに使うんだったら渡さない」とごねられたが、大丈夫だからと説き伏 せて、なんとか譲ってもらったのだった。 『卑弥呼は訝しんでやがったけどな。安心しろよ。妙なことにゃ、使って ねーぜ。』 もっとも、使われた銀次がそれを知ったらどう思うかは別問題だが。 『俺の誕生日ん時のお返しだ。「目には目を」ってな。さしずめこりゃ、 「薬(ヤク)にゃ薬(ヤク)を」ってとこか?ま、銀次も、記憶はねーが体 はすっきりしてる筈だ。これで当分、ほっといても暴走しねーだろ。』 いざとなったらまた使うかな。銀次が忘れちまうなら、こっちも気が楽 だしよ。 銀次が聞いたら必死になって抗議するであろうことをさらっと考えて、 横目で銀次を見る。ふと目が合って小さく笑いかければ、惚けたように自 分に見入る銀次がいる。なんだかそれが無性に可笑しくて、きょとんとし ている銀次を尻目に、しばらくの間、蛮はくすくすと笑っていた。 The End 「恋心」の続編です。 これまた旧にてUP済みですから、当時をご存知の方には申し訳ないこと この上ないのですが(汗)ご勘弁を(泣) いちよう、今年のBD用にと、立美さまへのリクも兼ねて書いている途中 ではあるのですが、さて、いつになったら終るのか・・・。ホワイトデー ネタも未完成だしね。参ったなぁ・・・。 頑張ります。 夏実ちゃんは料理がヘタ、と言うのが、どうも通説のようですが、銀次が 貰ったクッキーは美味しかったようです(笑)と言うことにしといてくだ さい(苦笑) ちなみにこの話、オリジナルはHありです(笑)その部分を丸々端折って 少し手直ししたのがこれ。 オリジナルのほうは、そのうち蔵にUPすることでしょう。