恋一夜






			 徐々に近づいてくる顔を瞬きも忘れて見入っていれば、唇が触れる寸前で苦笑された。

			「こういう時は目を閉じるもんだぜ?アリカ。」

			 苦笑と共に漏れた言葉。答えを返す前に、掌がそっと目隠しで視界を塞いだ。次いで柔らかな感触が
			唇に触れる。たったそれだけで、歓喜に震える己を抑えようがない。思わずしがみつけば、強く抱き締
			められた。

			 何度も触れるだけの口付けが繰り返される。優しい口付けはどこまでも甘くて、涙が出そうだ。

			「……何、泣いてんだよ。」

			 知らず伝った涙を口付けで拭いながら、ナギは再び苦笑した。

			 こうして主のものになることが嬉しくて仕方がないのに、己の所業により課した民の苦難を思うと胸
			が苦しい。妾などに、幸せになる資格などあるのだろうかとさえ思ってしまう。

			 そう言えば、主はきっと、

			「あるに決まってんだろ!」

			 と答えるだろう。迷いもなく。

			 だから、

			「俺のものになるのが、そんなに嬉しいんだな。」

			 そう言って笑うナギに、ただ微苦笑を返すにとどめた。

			 再び触れてくる唇に、ゆっくりと目を閉じる。そうして、手を伸ばすと、ナギに強くしがみついた。





			 それは、想像以上の熱と痛みを齎した。

			 熱くて、痛くて、どうしても強張る体を、ナギの手が優しく撫でる。唇に、頬に落とされる口付けは
			あやすように優しくて、呼びかける声はどこまでも甘くて、だからだろう、少しずつだけれど、体の力
			が抜けていく。

			 深く受け入れるほどに痛みは増したけれど、それでも、それを齎すのがナギだという事実が嬉しくて、
			苦痛だとは感じなかった。

			「…大丈夫か?アリカ。」

			「……大丈夫じゃ。」

			 そっと髪を撫ぜるナギに、小さく笑んでみせる。

			 それにあからさまにホッとした表情を見せるナギが可笑しくて、思わず笑みが深くなった。

			 痛みは未だひかず、繋がった箇所が熱くて堪らない。自然滲む涙を、ナギは何度も口付けで拭ってく
			れた。

			 初めての性交は、正直、快楽よりも痛みのほうが強かった。それでも、それを凌駕する至福を感じる
			のは、この時をずっと求めていたからだろう。

			 己が愛しいと思う男(ひと)に愛され、何れその男(ひと)の子を産む幸福。王族に生まれた己には、望
			むべくもないことだと思っていた。例え意に副わぬ者と婚姻することになっても、脈々と続いてきた血
			を残すため、それが己に課せられた果たすべき義務だと分かっていたから。

			 それが理解ではなく諦めだったと気づいたのは、この手を取った時だった。

			 嬉しくて、けれど、なぜか感じる漠然とした不安に、とめどなく涙が溢れだす。

			「ナギ…ナギ……っ。」

			 うわ言のように繰り返す、愛しい人の名。

			 甘くて苦くて、縋るようにしがみついた。

			「アリカ…愛してる……。」

			 耳元に、何度も繰り返される囁き。

			 呼ばれる度にこみあげる愛しさに、どうしようもなく胸が苦しい。

			 愛しくて、切ない。

			 この上もなく幸せなのに苦しくて、いっそこのまま壊れてしまえたらいいのにと、埒もないことを考
			えてしまう。

			 そうすれば、胸の奥深く巣くう、言い知れぬ恐れも消えてしまうだろうに。

			 いつの間にか、こんなにも弱くなってしまった己に自嘲する。

			 それも全て主のせいだと言ったら、どんな顔をするだろうか。

			 涙で滲む視界に、快楽に歪むナギの顔がぼんやりと映る。ついぞ見たことのない表情に、惹かれるよ
			うに手を伸ばした。

			 ナギ・スプリングフィールド。――――妾にとって、ただ一つの真実。

			 しこりのようにいつまでもこの胸に残る闇を、主の手で、どうか――――――。









		 	THE END





















			ホトトギスの花言葉・・・永遠にあなたのもの