FEMME FATALE



 	 俺たちから雷帝 ―――― 天野 銀次を取り上げた男 ―――― 美堂 蛮。

 	 噂は聞いていた。それも悪いほうの、だ。

 	 常人のそれを遥かに凌駕する力を持つと言う。だが、その力よりも恐れられる『邪眼』。

  	 目を合わせた者に一分間の幻(イリュージョン)を見せることが出来ると言うその特殊能力で、
	廃人になった者は数知れず。『蛇咬(スネークバイト)』と名づけられた尋常ならざる右手の力
	さえ、それに比べればまだ可愛いものだと、彼を知る者は皆口を揃えてそう言った。

	 だから、はなから殺すつもりだった。銀次の側にそんな冷酷非道な奴を置いておく訳にはい
	かない。それになにより、俺たちにはまだ銀次が必要だった。だから。

	 切り札の邪眼を使い切らせれば、どうってことのない相手だと思っていた。それが、手玉に
	取られたのは実はこちらの方で。

	 どこまでが現実でどこまでが幻か、それすらも分からなかった。きっと、説明されたとして
	もやはり分からないだろう。それ程にリアルな夢。

	 いや、あの時の殺気は本物だった。本気で殺されると、あの無限城で四天王と言われ恐れら
	れた俺が恐怖を感じる程に。

	 それとも、それも夢の中の出来事だったのだろうか。それとも、現実?

	 そして花月の乱入がなかったら、彼は俺をどうしていたのだろうか。その手にかけたのか、
	それとも―――――――?

	 そんなことを考えて、もっと「美堂 蛮」と言う男のことを知りたいと、気がつけば、今ま
	でとはまた違った意味で彼を気にし始めている自分に気づく。

	 少しでも関わりを持ちたくて彼と同じ奪還屋を始め、少しでも顔を見たくてHONKY T
	ONKに顔を出す。そんな日々が続いた。

	 会えば憎まれ口を叩き合う、そんな仲は変わらなかったが、それでも、会えればそれだけで
	良かったし、それに少しずつでも気を許してくれているようで嬉しかった。無論、会う度に違
	った表情を見せる彼にさらに惹かれていく自分に、多少の困惑がなかったとは言わないが。

	 美堂 蛮 ―― 自分より3つも年下のくせに妙に態度は大人びていて、剰え、人のことを
	『猿マワシ』呼ばわりする始末だ。口は悪いし態度もでかい。プライドの高さは人一倍で、お
	まけに自惚れ屋。身長体重共に自分よりずっと下で、一度だけ抱いたことのある体は思ってい
	た以上に軽かった。細くしなやかで、その印象は例えるならば猫。それも、気位高く、まず人
	には媚びないし馴れない、そんな野生動物を思わせた。

	 整った顔立ち。男にしては白い肌も、4分の1とは言え向こうの血が入っているせいだろう。

	 銀次とはまた違った意味で表情がよく変わる。とは言え、俺の前では怒った顔かシニカルな
	笑みか、ほとんどがそのどちらかだったが。

	 それが、銀次の前では違っていた。

	 時折、年相応、いや、下手をすると実年齢より幼いとさえ言える表情を覗かせる。自分に向
	けられるシニカルな笑みではない。本当に楽しそうな笑顔。その度に、こんな顔もするのかと、
	驚き惹かれ、と同時にそれを自分に向けさせられない歯がゆさを感じていた。




	「おい、美堂。」

	 いつものようにHONKY TONKに顔を出せば、珍しくも銀次の姿がない。いつも一緒
	で、仕事以外、まず離れたところを見たことがない二人が別行動しているなど、ひどく珍しい
	ことだった。

	「あ?なんでー、猿マワシじゃねーか。」

	 ドアに背を向けるようにして腰掛けていた蛮は、俺が入ってきたのに気づかなかったらしい。
	声を掛ければこちらを一瞥して、もう見馴れたあのシニカルな笑みを見せた。

	「銀次はどうした?一緒じゃないのか?」

	「あ?銀次?ああ、奴なら買出しに出てんぜ。残念だったな?居なくてよ。」

	 からかうように笑みを深める蛮に、それでもその艶やかさに見惚れてしまう。

	 こいつは、俺の気持ちを知っていてわざとこんなことを言うのだろうか。

	 思わずそう考えてしまう。それとも、本当に銀次に会いにここへ来ていると思っているのだ
	ろうか。

	  どうも、この美堂 蛮という男の考えが読めない。

	「別に。銀次に用はねー。」

	 思わず出た言葉に、蛮は面白そうに笑みを浮かべた。

	「へえ?じゃ、なんだってここへ顔出してんだ?もしかして、俺様の顔見たさか?」

	 くすりと笑う蛮に、「そうだ。」と答えたらどんな顔をするだろうかと考える。きっと少し
	驚いて、そして「バカか?」と一笑に付されるのがおちだろう。それとも、それ以外の答えが
	あるのだろうか。

	 目の前で立ったまま逡巡している俺に、蛮は溜め息混じりに声を掛けた。

	「おい。何悩んでんだよ?冗談だよ、冗談。」

	 「そんなに悩むような質問じゃねーだろ?」そう続けて、蛮は呆れたように笑みを浮かべた。

	「……お前の顔を見に来てんだよ。」

	「あ?」

	 呟くように零した言葉に、サングラス越しの瞳が真っ直ぐに俺を見据えた。

	 綺麗な色だ。思えば、この目を見たあの日から、俺は蛮にしてやられていたのだろう。早い
	話、一目惚れ、だったのだと思う。紫紺の、この世に二つとない、稀有なる結晶。

	 思わず見惚れる。

	「なんだって?」

	 怪訝そうな問いかけに我に返る。

	 「なんでもない。」と、そう言いかけて、蛮の瞳に押されるように言葉を紡ぎだす。その一
	言を蛮が待っていると、なぜか、そんな気がしたからだ。

	「だから、俺はお前に会いに来てんだよ。美堂。」

	 今度ははっきりとそう告げる。

	「へえ。」

	 蛮はその言葉に動揺した風もなく、面白そうに俺を見ている。まるで、ひどく面白い冗談を
	聞かされたような、そんな顔だ。

	 さっきのは気のせいだったのだろうか。

	 蛮のその人をバカにしたような反応に、俺は眉を顰めた。

	「テメー冗談だと思って……。」

	「で?顔見て、それだけでオメーは満足なのか?」

	 俺の言葉を遮るようにして、蛮は問いかけた。その顔には笑みを浮かべたままで。

	「あ?どーいう意味……?」

	「だから、満足なのかって訊いてんだよ。顔見るだけでよ。」

	 蛮の言葉の意味が分からない。何を言っているのだろう。どういう意図で蛮がそんなことを
	尋ねるのか、俺にはさっぱり分からなかった。

	 顔を見るだけで満足か?そんな筈ある訳がない。いつだって本当は蛮に触れたくて、その存
	在を感じたい。だから、いつもその隣に居る銀次がどれだけ羨ましかったか。蛮にはきっと分
	からないだろう。

	「満足かだと?してる訳、ねーだろ?」

	 殺気にも似た強い気を滲ませて、俺は鋭く蛮を見据えた。

	 そうだ。満足などしていない。本当はいつだって蛮を奪いたかった。この手に抱く夢を何度
	見たことか。叶わないのなら、いっそこの手で引き裂いてしまいたいと、そう思うほどに欲し
	ているというのに。

	「だったら、ちゃんとそう言えよ。」

	 頬杖をついて嫣然と微笑む蛮に、これは何の冗談かと考えてしまう。

	 今、言えと言ったのか。この気持ちを。言って、それでどうなると―――――?

	「美堂?」

	「それとも、銀次が怖いのか?」

	 銀次が怖い?まさか。そりゃ、奴の強さは嫌と言うほど知っている。だが蛮が望むなら、か
	つては仲間だった銀次を裏切ってでも手に入れる覚悟は出来ている。

	 挑発するような物言いに、つられるようにして言葉を吐き出す。

	「美堂。お前が欲しい。会うだけで満足なんてできねー。」

	「ああ。俺もだ。」

	 言葉に、耳を疑う。

	 目の前の麗人は嫣然と微笑んだまま、俺をじっと見ている。

	「で?それだけか?俺は『良い』って言ってんだぜ?」

	 なおも笑みを深めた蛮に、理性など保てるはずもなく。気がつけば口付けていた。貪るよう
	に。

	「………っっ………ってバ…カ、こんなとこで、する奴があるかっ。」

	 咎めるような口調に、それでも頬が染まっているのが、以外に照れ屋なんだなと気づく。

	「美堂。お前が欲しい。俺のものになれ。」

	「ああ。好きにしろ。」

	 先の、ずっと胸の奥にしまい込んでいたその言葉を耳元に囁けば、それでも艶めいた声が返
	ってくる。そうして忍び笑い。

	「?」

	「なんでもねー。銀次が帰ってくる前に、行こうぜ?」

	「ああ。」

	 蛮の言葉に頷いて、そうして俺たちは店を後にした。






	 ベッドの脇に置いておいた煙草を取り出し、蛮はそれをゆっくりと吸い込んだ。

	「……なあ。」

	「あ?」

	「オメー、初めてじゃねーだろ?」

	「……なんでそう思う?」

	「なんでって……馴れてっからよ。猿のクセにどこでこんなこと覚えたんだ?」

	 冷やかすような口調に、俺は眉を顰めた。

	「ああ?嫌味か?それは。」

	「バカ。思ってたより良かったって言ってんだよ。」

	 うっすらと頬を染めて、俺に背を向ける。

	 聞きようによっては前がありそうなその言葉に、俺は蛮を後ろから抱き込むようにして問い
	かけた。

	「おい。そりゃ誰と比べてだ?」

	「さて…ね。」

	 意味深な笑みを浮かべる蛮を、自分の下に引き込む。

	「ふ…ん。ま、テメーならありかもな。……って、まさか、銀次か?」

	 ふと浮かんだ嫌な考えに、それを隠しもせず蛮を見つめた。

	 それに蛮は答えず、ただ、笑みを浮かべている。

	「おい。『義兄弟』かよ?そりゃ笑えねーぜ?」

	「……安心しろよ。銀次とはそんな仲じゃねー。」

	 俺の反応をしばらく黙って見ていた蛮が、それでもようやく答えを出した。可笑しそうに笑
	いながら。

	「こいつ…。」

	 人の反応を楽しんでやがる。

	 悪趣味な奴だと思いながらも、少なくとも銀次とはまだ何もないことが分かり、胸を撫で下
	ろす。銀次と義兄弟なんて冗談じゃない。それこそ洒落にもならないと言うものだ。

	 あからさまに安堵の表情を見せてしまった俺を、蛮は可笑しそうに笑っている。

	「テメー…笑うな……。」

	 憮然と零して、笑みの浮かんだ口を自分の口で塞いでしまう。そうしてそのまま貪るように
	深く口付けた。

	「ん……あ……。」

	 思うまま貪ってから解放してやると、溜め息のように甘い吐息が零れ落ちた。

	「……はぁ……ったく…ケダモノが……。」

	 睨むように向けた瞳が潤んでいる。きつい瞳もやはり綺麗だと思ってしまうのだから、本当
	に、してやられている。

	「うるせー。……で?どーすんだ?」

	「あ?」

	 俺の問いかけに、蛮は首を傾げた。

	「銀次だよ、銀次。何もないのは分かったが、それでもともかく、奴はお前に惚れてんだろ?」

	 その言葉に、俺の言わんとしていることを理解したらしい。「ああ。」と蛮は小さく洩らし
	た。

	「ま…な。けどしょーがねーだろ?こればっかりはよ。」

	 蛮がそう言うのももっともだ。こればかりは如何ともし難いのは確かだった。

	「じゃあ……。」

	 「Get Backersをやめるのか?」と続けかけた俺を遮るようにして、蛮はきっぱ
	りと言い切った。

	「それでもGet Backersをやめる気はねーぜ。銀次とのコンビも解消しねぇ。」

	「美堂?」

	「銀次のこたー気に入ってんしな。一緒にいりゃ楽しいしよ。やめる気はねぇ。」

	 小さく笑みを浮かべた蛮に、気持ちは分かるがムカつくのは、やはり蛮が銀次のことを気に
	入っていると公言したからだろう。分かってはいてもそう言われれば、やはり嫉妬せずにはい
	られない。まして銀次は蛮に惚れている。それこそ「べた惚れ」と言ってもいいくらいに、だ。
	それが自分と違っていつも一緒に居て、剰え、蛮の普段あまり見せない表情も近くで見ている
	のだから、心は自分にあるといっても、不安にならずにはいられなかった。

	「そうかよ……。」

	「あ?何むくれてんだよ。バカか?銀次とは仕事で一緒に居るだけだろーが。」

	「俺も奪還屋をやってんだぜ?」

	「だからオメーと組む気はねーって。Get Backersは銀次と以外名乗る気はねーん
	だよ。ったく、駄々こねんじゃねーよ。オメー俺より年上だろ?」

	 蛮は呆れ顔でそう言葉を洩らした。

	 そうは言っても、ムカつくものはムカつく。確かに蛮より3つ年は上だが、かと言って全てを
	理性で納得できるほど、自慢じゃないが人間が出来てはいない。

	 いっそコンビを解消してくれたほうが、自分としては安心できるのにと、そう考えていた時、
	蛮の携帯が鳴った。それを蛮が腕を伸ばして取る。

	「はい、こちらGet Ba……。」

	(蛮ちゃん!?今どこにいんの!?ずっと捜してたんだよ!?)

	 蛮の言葉を遮るようにして、携帯の向こうで銀次が騒いでいるのが聞こえる。そのあまりの
	大声に、蛮は眉を顰めて携帯を耳から遠ざけた。それでも脇にいた俺にさえ、何を言っている
	のか理解できた。

	「銀次?」

	(そーだよ!帰ってきたら蛮ちゃん、いなくなってるし!ねえ今どこにいんの!?)

	 半狂乱になっているような声に、蛮は苦笑いを零した。

	「ああ、悪かった。ちっとヤボ用でな。HONKY TONKにいんだろ?これから帰るから、
	そこで待ってろよ。」

	 そう言った蛮の表情があまりに穏やかで、このまま銀次の元に帰すのが、なんだか無性に癪
	に障った。その衝動のまま、俺は蛮を引き寄せた。

	「誰が帰すって?」

	「猿マワシ?」

	 耳元に囁くように言えば、蛮が驚いたような顔をしてこちらを見た。

	「まだ、帰らせねーぜ。」

	「さ……っ!?」

	 蛮が何か言うより早く、その口を塞いでしまう。そうしてそのまま深く口付ける。

	 俺の行動に驚いたように目を見開いている蛮の反応が小気味いい。その表情に、悦に入る。

	(蛮ちゃん?どしたの?蛮ちゃん!?)

	 一向に返事の返ってこない蛮に、銀次が携帯の向こうで叫んでいるのが聞こえる。

	 口付けに、震えるように携帯を握り締めているのを取り上げた。

	(蛮ちゃん!?返事してよ!蛮ちゃん!)

	 必死になって叫んでいる銀次の声が、蛮の耳にも届いているだろう。それでも返事の出来な
	い状態に追い込まれているのは、いったいどんな気持ちがするのだろうか。そして、返事のな
	い携帯に、虚しく叫び続けている銀次は。

	「な……にす……あぅっ!」

	 荒い息の下から抗議の言葉を洩らす蛮を無視し、首筋に口付ける。跡を付ける程に強く吸え
	ば、嬌声を上げ体を仰け反らせた。

	「や…めろ……バカ……んっあっ。」

	(蛮ちゃん?え?)

	 銀次にも聞こえるように、わざと蛮の口元に携帯を近づける。

	 異変に気づいたらしい銀次の声が困惑に変わるのが、とても気分が良かった。『優越感』と
	でも言ったら良いのだろうか。蛮が銀次ではなく自分を選んだことへの、それは。

	 意地の悪い笑いを洩らしながら、なおも俺は蛮への愛撫を進めていった。首筋に舌を這わし、
	胸の蕾に軽く歯を立てる。その度に、蛮の体は面白いように跳ねた。

	 俺の意図に気づいたのか、零れ落ちそうな喘ぎを、蛮は手で押さえ込もうとした。が、それ
	を許すはずもなく、その手を押さえつける。

	「や……あっん………っっ。」

	(蛮ちゃん!?どしたの!?ねぇ!?)

	「銀次か?」

	(え!?士度!?)

	 呼びかければ、いよいよ困惑の度合いを深めた銀次の声に、笑みを浮かべずにはいられない。
	小さく喉で笑って、さらにパニックに陥るであろう銀次の姿を想像しながら、俺は言葉を続け
	た。

	「今、取り込み中だ。美堂は今日は返さねー。じゃあな。」

	(え!?ちょ、ちょっと士度!?それどういう……!?)

	 喚きたてる銀次を無視して携帯を切る。それを投げるようにして、サイドテーブルに置いた。

	「つう訳だ。今日は返さねーぜ?」

	 笑みを浮かべた俺に、蛮は吐息混じりの溜め息を洩らした。

	「……しょーがねー……な……この…ガキ。」

	「言ってろ。」

	 それでも俺の態度に満更でもなさそうな蛮は、くすくすと笑っている。それに軽く口付けて。
	そうして、再び唇を重ね、深く深く口付けた。




	THE END


	なぜか両想いな士度×蛮(笑)
	元ネタは実は「ツーリング エクスプレス」のエドとフラン(笑)
	いや、なぜと言われましても、なんとなくとしか答えようがない
	んですが…(苦笑)
	このネタやるなら士度×蛮しかないだろうということで。
	と、当時は考えていたんですが、でも今は屍×蛮でも書けるなと
	思っとります(笑)
	いつか書くかな?
	※「FEMME FATALE」=「運命の女神」