A Provisional Agreement





		 伸ばした手の先に金属の冷やりとした感触。そのまま扉を開けば、薄闇に
		差し込む日の光。眩しさに一瞬目を瞬かせながらゆっくりと一歩を踏み出せ
		ば、その後をタカミチが続いた。

		 日の光に慣れた目で見渡せば、空には青空が広がっていた。青い空をたゆ
		たうように、ゆっくりと雲が流れていく。

		 眼下に広がる校庭には、体育の授業中なのだろう、生徒たちの姿が見えた。

		「それで、僕に用事とはなんだい?ネギ君。」

		 流れ行く雲にぼんやりと視線を向けていた僕に、タカミチは背中越しにそ
		う問い掛けてきた。それに、ゆっくりと振り返る。

		 振り返った先、目の前に、以前に比べて少しだけ痩せたタカミチの姿があ
		る。ギブスで固定された左足の包帯の白さと、歩行補助のための松葉杖。そ
		れらを見ているのが辛くて、思わず視線を足元へ向けてしまう。

		「ああ、手当てが大袈裟なだけだよ。もう大分治ってきているからね。本当
		は、こんなものなくても歩行に支障はないんだ。」

		 それに気付いたのか、苦笑して、タカミチは「なんでもないふり」をして
		見せた。

		 けれど、怪我の状態がタカミチの言うほど軽くないことは、学園長から聴
		いて知っていた。だから、タカミチが僕を安心させるためにこんなことを言
		うのだということも分かっていた。それが分かっているから、余計に視線を
		上げられなくなる。唇をギュッと噛み締めて、溢れ出しそうになる感情をな
		んとか堪えた。

		「………ずっと……考えてたんだ……。」

		 握った拳に、自然と力が入る。

		 なんとか視線を上げようとして、それでも上げることが出来ず、俯いたま
		ま、僕は吐き出すように言葉を紡いだ。

		声は、思ったよりもずっとか細くて、タカミチの耳に届いているとは思えな
		かった。けれども、タカミチは聞き返すことなく、ただ黙って僕の言葉を待っ
		ていた。

		「タカミチが行方不明になってからずっと、ずっと、考えてた……。」

		 僅かに声が震える。けれど、それを止める術はなくて、だから、僕はそれ
		に構わず言葉を続けた。

		「このまま、タカミチがし……いなくなったら、どうしようって……。」

		 タカミチが行方不明になったと知らされたのは、一月ほど前のことだった。

		 聞いた途端、目の前が真っ暗になるのが分かった。それでも瞬間、言葉の
		持つ可能性を理解することが出来ず、ただ学園長の顔を見つめて、いつもと
		違う、その険しい表情と場の重苦しい空気に、ようやく「行方不明=死」と
		言う可能性に気付き、言葉を失った。気付いた途端、足が震えてまともに立っ
		ていられなくなって、無様にもその場にへたり込んでしまった。

		 学園長がどんなに「連絡が取れなくなっただけだから、大丈夫だ。」と言っ
		てくれても、暗い想像は、決して頭から消えてくれはしなかった。

		 本当なら、自らタカミチを捜しに行きたかった。けれど、自分は魔法使い
		としてはまだまだ半人前で、そんな自分が捜索に参加など出来るはずもない。
		仮に参加できたとしても、タカミチでさえこのような状況になってしまうよ
		うな場所で、半人前の自分では足手まといになるのが目に見えていた。それ
		に、自分の先生としての仕事を放ってしまうことなど出来ない。

		 自分に出来ることは、ただタカミチの無事を信じて待つことだけだった。

		 何も出来ない自分が歯痒くて、また、一向に朗報の訪れない現状に不安は
		募るばかりで。それでも、「タカミチなら大丈夫。きっと、何かどうしよう
		もない事情があって、連絡が途絶えてしまっているだけだ。」と、何度も自
		分に言い聞かせた。皆の前では無理に笑顔を作って、なんでもないふりをし
		て、自分の中に巣食う不安を「大丈夫。」と言う言葉で封じ込めて。そうし
		ていなければ、不安が現実になってしまいそうで怖かったから。

		 日中は、それでもなんとかなった。先生の仕事に、修行に、忙しくしてい
		ればいるほど、多少は気が紛れたからだ。けれど、夜は逆に不安が増長して、
		眠れぬ日々が続いた。それでも、疲労に僅かにまどろめば、足元にまで広が
		る血溜まりの中、倒れているタカミチの姿に叫ぶ悪夢に飛び起きる、そんな
		ことが何度もあった。その度に、「大丈夫、大丈夫。」と自分に言い聞かせ
		て。

		 それでも少しずつ、だが確実に心が不安に侵食されていくのを止めようが
		なくて、どうにかなってしまいそうだった。

		 だから、ようやくタカミチと連絡が取れたと聞いた時には、抑え込んでい
		た感情が堰を切ったように溢れ出し、止まらなかった。

		 その場に居たアスナさんに縋りつき、溢れ出す感情のまま、声を上げて泣
		いて泣いて、仕舞いには、泣き疲れてそのまま眠ってしまった。

		 だから目が覚めた時、「夢だったらどうしよう。」という不安が拭えなかっ
		た。けれどそれも杞憂にすぎなかった。

		「怪我のせいでまだこっちには戻れないみたいだけど、でも、大丈夫だって。
		「心配かけてすまない。」って、高畑先生から伝言よ。ネギ。良かったね。」

		 目に涙を溜めてにっこりと笑ったアスナさんの言葉に、ようやく僕は、本
		当に安心したのだった。

		 それから三週間ほどして、ようやく、タカミチはまほら学園に戻ってきた。

		 体のあちこちに巻かれた包帯。中でも左足の怪我が一番酷いらしく、未だ
		ギブスは取れない。けれども命に別状はなく、こうして自分の目で、手で、
		その存在を感じることが出来る。

		 それがどんなに嬉しいことか、今回ほど実感したことはない。

		「連絡の取れない間、不安に押しつぶされそうだった。「大丈夫。」って、
		自分に言い聞かせ続けなければ、立っていることさえ出来なくなりそうだっ
		た。」

		 繰り返し、繰り返し、「大丈夫。」と自分に言い聞かせていたあの日々。
		振り返ってみれば、タカミチと連絡の取れなかったのも、結局は一週間ほど
		のことで、あっという間に過ぎていたはずだ。けれども、その日々はあまり
		に密度が濃く、一日一日があまりにもゆっくりと時を刻んでいたと感じてい
		たのもまた事実だった。

		 いつもよりゆっくりと刻む時の中、何度も何度も思考はそこに行き着いた。

		 このまま、タカミチが死んでしまったらどうしよう、と。そうなったら、
		僕はどうするのだろう、と。

		 思考は、最悪の事態を振り払おうとすればするほど、いつまでもいつまで
		もしこりのように残って、そうして、何度も何度もその想像に行き着いた。
		けれど、決まって出すことの出来ない結論に、「大丈夫。タカミチが死ぬは
		ずはない。」と自分に言い聞かせることによって、辛うじて精神の均衡を保っ
		ていたのだ。

		「……すまなかった。」

		 僕の言葉に、タカミチの口から謝罪の言葉が落ちる。それに首を振る。

		「タカミチが悪いんじゃないんだ。ただ、僕の覚悟が足りなかっただけで。」

		 『父さんを捜す』と決めた時から、覚悟はしていたつもりだった。

		 『サウザンドマスター』とまで言われた父さんですら行方不明になってし
		まうという現実に、人としても、魔法使いとしても半人前な自分が無傷で捜
		し出せるとは思えなかったし、もしかしたら命を落とすことだってあるかも
		しれない。だから、覚悟は出来ていた。

		 また、既に僕は、生徒であるはずのアスナさんやこのかさん、刹那さん、
		のどかさんにゆえさん達を私事に巻き込んでしまっている。巻き込んでしまっ
		たからには、彼女達を守らなければならない。その覚悟も、していたつもり
		だった。

		 けれど、今回の一件でよく分かった。それがどんなに中途半端な覚悟であ
		るかということを。

		 覚悟をする、ということは、自分の命に対する覚悟だけでは足りないのだ。
		彼女達の誰かが命を落とすことになるかもしれない。もちろん、そのような
		事態にならないよう、出来る限りのことはするつもりだ。そのための努力も
		している。それでも、そうならないとは、誰にも断言出来はしない。だから、
		その覚悟も出来て初めて、本当の意味で「覚悟が出来た」と言えるのだ。

		 今までの自分は覚悟をしているつもりになっていただけなのだと、今日そ
		こに存在した人が、明日も存在するとは限らないのだと言うことを本当の意
		味では理解などしていなかったのだと、今回の件でようやく理解することが
		出来たのだ。

		「タカミチ達の任務が危険なことだって、分かってるつもりだった。でも、
		分かってるつもりになっていただけだった。今回は生きて帰ってきてくれた
		けど、でも、次もそうとは限らない。それが、今回のことで、よく、分かっ
		たんだ。」

		 一呼吸置いて、ゆっくりと視線をタカミチに向ける。

		 真っ直ぐにこちらを見つめていたタカミチと、視線を合わせて。

		「タカミチがとても強いことは、知ってるよ。でも、今回みたいなことが、
		次にもないとは言えない、でしょう?」

		「……そうだね。その通りだ、ネギ君。人は万能ではない。どんなに知力や
		体力があっても、どうにもならない時が、確かにある。」

		「うん…。だからね、僕、考えたんだ……。」

		 そこで言葉を区切る。

		 これから告げる言葉に、タカミチがどう答えるかは分からない。それは僕
		が決めることではなく、タカミチが決めることだから。

		「何をだい?」

		 静かに先を促すタカミチに、心臓が早鐘を打つ。

		 苦しいほどの鼓動に胸を押さえながら、落ち着こうと深呼吸を一つして
		「我侭」と言う名の提案を口にした。

		「タカミチ、僕と……仮契約して……。」

		 視線の先、驚いた表情を見せるタカミチに、知らず頬が熱くなるのが分かっ
		た。

		「……あの……ダメ……?」

		「ネギ君。」

		「え…?」

		「君に、その覚悟が出来ているのかい?」

		 静かに問われて、僕はじっとタカミチを見つめた。

		 今回のようなことが、またいつあるか分からない。そして、今度は今回の
		ように帰ってはこれないかもしれない。その現実を受け止める覚悟があるの
		かと、タカミチは僕に問い掛けているのだろう。

		 仮契約をすれば、嫌でもカードで生死が分かってしまう。それがどんなに
		離れた場所で起きたことであったとしても。仮契約をしていても、そのカー
		ドの機能は万能ではない。どんなに足掻いても、亡くしてしまうこともある
		のだ。

		 それでも。

		 今回のように何も出来ず、ただ待つことしか出来なかった苦しみに比べれ
		ば、出来ることがあるということがどれほど嬉しいことか、比べるべくもな
		かった。

		「出来てるよ、タカミチ。」

		 真っ直ぐにタカミチを見つめて、そう断言する。

		「僕が考えている覚悟なんて、タカミチからすれば、甘い覚悟かもしれない。
		それでも、僕は「出来てる。」と断言できるよ、タカミチ。だから……。」

		「なら、言うことはないよ、ネギ君。」

		 ゆっくりと身を屈めたタカミチに、首を傾げる。

		「タカミチ?」

		 不自由そうに、それでもなんとかその場に座り込んだタカミチは、僕を見
		上げながらはっきりとこう言った。

		「仮契約しよう。」

		 タカミチの手が、僕の頬に触れる。その行動と言葉に、思わず頬に朱が散
		る。自分から言い出したことなのに、そう言えば仮契約するのにキスをする
		のだったと、今更ながらに思い出して、急に恥ずかしくなってしまったのだ。

		「兄貴。準備は出来てるぜ。」

		 カモ君の言葉が、先を促す。

		「あ……え、と……は、はい……。」

		 顔が赤くなっている自覚はあったが、抑えようもない。そもそも自分から
		言い出したことだ。今更照れてどうするんだと覚悟を決める。 

		 座り込んでいるタカミチの肩に手をつき、怪我をしている足に触れないよ
		う、その場に膝立ちになる。これでちょうど、互いの顔が同じくらいの高さ
		になった。間近に見るタカミチの顔に、頬の赤みは益々増していく気がする。
		しかも、緊張までしてきた。他の人たちと仮契約をする時より、照れも、緊
		張の度合いも激しいのはなぜだろうと、思った途端に声をかけられた。

		「死が二人を分かつまで……。」

		 囁くように、タカミチはそう言った。……ように聞こえたのは、僕の気の
		せいだろうか。

		 瞬間吹いた風に掻き消された声は、きちんと僕の耳にまで届かなかった。

		「え…?タカミ……ん……。」

		 思わず聞き返そうとした言葉は、唇で遮られた。

		『仮契約』―――――。

		 瞬間、眩い光に包まれる。そして、「仮契約カード」が現れた。

		「……これで、仮契約成立だね、ネギ君。」

		「う…うん………。」

		 出現した仮契約カード。

		 これで、もし何かあっても互いに連絡を取り合うことが出来る。召喚する
		ことも可能だ。そして、最悪の事態も、これで知ることが出来る。

		 僕はカードを胸に抱き締めた。

		「大事に持っててね?タカミチ。これでタカミチは、仮にも僕の従者なんだ
		から。」

		「もちろん。まぁ、普段はなかなか役に立てそうもないけれどね。」

		 苦笑するタカミチに、僕の口元にも自然と笑みが浮かんだ。

		 その瞬間、張り詰めていたものが切れたのか、不意に涙が零れ落ちた。

		「ネギ君?」

		「あ……ごめん…なんでもな……。」

		 言いかけた言葉を遮るように、タカミチの腕が、僕の体を抱き寄せた。

		「心配かけて、すまなかった。もう、こんな心配はさせないと誓うよ。」

		「…………うん……。帰ってきてくれて、ありがとう……。」

		 抱き締められるままその体にしがみ付く。耳に、とくん、とくん、と言う
		規則正しい鼓動が聞こえる。触れる身体が温かい。「生きている」何よりの
		証拠。それが嬉しくて、溢れ出した涙は止めようがなかった。

		 そうして暫くの間、僕はタカミチの「生」を噛み締めていた。



		THE END







		えーと、ここはどこ?このかの魔法で治癒させればいいんじゃないの?
		という疑問をお持ちかと思いますが、とりあえず雰囲気を察していただ
		ければ…というのは、ダメですか?(苦笑)
		場所は、屋上です。
		最初の描写で、明記しなくても分かるかな、と思ったんですけど;
		ダメですかねぇ;
		で、怪我のことですが、日記にもフライングで書いたように、幾らまほ
		ら学園に魔法先生及び生徒が多くとも、大多数は一般人で、また、タカ
		ミチ行方不明の情報は、生徒達にも及んでいると思われます。そんな中
		で、帰ってきたタカミチの怪我があっという間に治ったら、やはり不自
		然ではないかと思いまして、あえて、怪我をしたままという形をとりま
		した。
		…蛇足ですね。
		書きたかったことを、少しでも読み取っていただければ幸いです。
		仮契約シーンは、絵に起こしたいなぁ。