Temptation





		「久しぶりに食事でもしないかい?ネギ君。」

		 そう言って誘われたのは昨日のこと。

		 急なことだったけれど、予定も特になく、何より、タカミチとゆっくり話ができるのが嬉しくて、すぐに「いいよ。」
		と返事をした。

		「では明日、6時に。お疲れ様、ネギ君。」

		「うん。また明日ね。お疲れ様、タカミチ。」

		 互いに挨拶を交わしてそれぞれの家路に着く。

		「明日、何着て行こう。」

		 誰に問うでもなく、ぽつりと呟く。

		 このかさんに相談にのってもらおうかな、とぼんやり考えながらも、ネギの頭は既に、明日のことでいっぱいだった。







		 待ち合わせの場所には、約束の時間より少し早く着いたのだが、既にタカミチは来ていた。

		 慌てて駆け寄ってくるネギに気がついたタカミチが、隣に座るよう椅子を引く。そこに、ネギは腰を落ち着けた。

		「やあ、ネギ君。早かったね。」

		「タカミチこそ。僕、少し早めに来たのに。待った?」

		「いや。僕もさっき来たところだよ。」

		 そう言って笑うのに、安堵する。

		「コーヒーでも飲むかい?それとも、カフェオレのほうがいいのかな?どっちがいい?ネギ君。」

		「え?あ、えと、カフェオレのほうが……。」

		「了解。」

		 答えと共に立ち上がると、店へと向かうタカミチ。慌てて立ち上がり後を追おうとしたが、軽く止められた。

		「僕が買ってくるから、ネギ君はそこにいて席を確保していてくれるかい。頼んだよ。」

		 オープンテラスはそれほど混んでいなかったが、そう頼まれたら待っているしかない。ネギは席に着くと、タカミチの
		後ろ姿を見送った。

		 今日のタカミチは、いつもよりラフな格好をしていた。生成りのジャケットと、淡いグリーンのシャツ。ネクタイはし
		ていなくて、ボタンが幾つか外されていた。それからGパン。

		 見慣れない格好に、なんだかくすぐったいような妙な感じがするのだが、この妙な感じの正体はネギ自身にもよく分か
		らなかったので、深く考えないことにした。

		『こういう格好もするんだ。かっこいいなぁ……。』

		 両手にカップを持ってこちらへ来るタカミチをぼんやり見つめていたら、目の前に紙コップが差し出された。慌てて視
		線を向けると、目の前に、微苦笑したタカミチの顔。

		「あんまり見つめられると照れるんだけどね。こういう格好は、似合わないかい?」

		「え、そ、そんなことないよ!似合うし、かっこいいと思う!」

		 慌ててそう答えれば、タカミチが嬉しそうに笑う。

		「そう言ってもらえると、嬉しいよ。」

		 タカミチはそう言って、ネギの隣に腰を下ろした。

		「お互い、スーツ姿で会うことがほとんどだからね。うん、ネギ君も、やっぱり私服だと感じが違うね。」

		 言われて、ネギは自分の格好を振り返った。

		 丈の短めのジャケットにVネックの黒のTシャツ、ゆったりめのパンツ。ジャケットを羽織ったのは、このかの助言に
		よるものだ。

		「……似合わない?」

		「似合ってるよ。」

		「ホント?えへへ、嬉しいな。」

		「ちょっと、大人っぽく見えるかな?出会った頃は、あんなに小さかったのに。ネギ君も、どんどん大人になってるんだ
		なぁ。」

		 そう言って笑うタカミチに、照れてしまう。薄っすらと赤く染まった頬を誤魔化すように、ネギはカフェオレに口をつ
		けた。

		「食事なんだけれど、以前言っていたお寿司にしようかと思ってるんだが。それでいいかい?ネギ君。」

		「うん。わー、僕、お寿司屋さんって初めてv楽しみだなー♪」

		 タカミチの言葉に、満面の笑みを浮かべるネギ。

		 タカミチの話を聞いて、ネギが一度行ってみたいと思っていたのが『寿司屋』だった。修業のために日本に来ることが
		決まった時、一緒に行こうとタカミチと約束をしていたのだが、お互いの都合が合わず、結局今日まで行けずじまいでい
		たのだった。

		「ねぇねぇ、タカミチ。今日行くお寿司屋さんはどんなところ?お店の人が目の前で握ってくれるとこ?それとも、お寿
		司がくるくる回ってるとこ?」

		 目を輝かせて訊いてくるネギに、タカミチが笑みを浮かべて訊き返す。

		「ネギ君は、どっちがいい?君の好きな方に行こう。」

		「え?僕が選んでいいの?わーいvえーと、どうしようかな?握ってるのを見てみたいし、でも、くるくる回ってるのも
		見てみたいし……。」

		 腕を組んで真剣に悩んでいるネギに、タカミチの笑みが深まる。「どうしよう?」と悩んでいるネギの姿が可愛くて仕
		方がない、といった表情なのだが、当のネギは気づいていない。

		「今日行かなかった方には、後日行こうか。」

		 なかなか決められないでいるネギに、タカミチが助け船を出した。

		「え!?ホント!?じゃあね、くるくる回るお寿司屋さん!」

		 余程嬉しいのか、ネギは満面の笑みを浮かべて答えを出した。

		「了解。では行こうか。ネギ君。」

		「うんvvv」

		 残りを飲み干し、席を立つ。

		 ゴミ箱へ捨てようと紙コップに手を伸ばせば、それより早くタカミチの手がそれを掴む。そうして自分の分を重ねると、
		そのまま手近にあったゴミ箱に入れてしまった。

		「あ、ありがとう。タカミチ。」

		「どういたしまして。さ、行こうか。」

		 タカミチは小さく笑ってそう返すと、ネギの肩に軽く手をやり、促すように歩き出した。

		「ところで、そのジャケットは、誰のコーディネートなんだい?」

		「え?これ?このかさんだよ。Tシャツとパンツだけより、このほうがいいからって。なんで?」

		「……いや。なるほど。このか君か。」

		 何か考えるように黙ってしまったタカミチに、ネギは首を傾げた。

		 ついさっき、タカミチの口から「似合っている。」と言われたばかりだから、似合っていないわけではないはずだ。普
		段は着ない丈の短いジャケットだから、ネギ自身もなんとなく違和感のようなものを感じているのだが、このかの「最近
		の流行りなんよ。」の言葉に、「そういうものか。」と思っていたのだ。

		「タカミチ?」

		 黙ったままのタカミチに、ネギは不安げに声をかけた。それに顔を上げたタカミチは、ネギの腕をとると、そのまま建
		物の影に連れ込んだ。

		「タカミチ?どうしたの?」

		 突然のことに戸惑いを隠せないネギを、タカミチはまるでその腕に閉じ込めるかのように引き寄せた。

		「タカミチ?」

		 不安そうにタカミチを見るネギに、タカミチが苦笑する。

		「確かに、日本では最近、そういう丈の短いジャケットが流行っているようだけど、西欧でそういう格好をしているとど
		う思われるか、ネギ君、君は知っているのかい?」

		 タカミチの問いかけに、ネギはふるふると首を振った。

		 それに、タカミチの苦笑が深まる。

		「西欧ではね…。」

		 タカミチはそこで言葉を区切ると、ネギの耳元に、囁くようにその意味を告げた。

		「…………っ!?///」

		 それを聞いた途端、ネギの顔が真っ赤になる。

		「だからね、一瞬そうかと思ったんだけれど、とはいえ、まさかネギ君がそんな意志表示をするとは思えないし。だから
		誰のコーディネートか訊いたんだが、このか君のコーディネートと聞いて、納得したよ。うん。」

		 そう言って苦笑するタカミチに、ネギは耳まで真っ赤になって小さく体を震わせていた。

		「尤も、それはそれで、僕に対してだけなら、構わないんだけれどね。」

		 言いながら更に抱き寄せると、ネギの顎に手をかけるタカミチ。そこに至りようやくショックから抜け出したネギは、
		慌ててタカミチの腕から逃れようともがいた。

		「違っ!そんなこと知らないっ!知ってたら着てないってば!タカミチ、や…っっ!」

		 しかし、抵抗も空しく、唇を塞がれてしまう。一度触れるだけで離れた唇は、すぐにまた重ねられた。

		 刺激に小さく震える体をさらに深く抱き締めて、タカミチはその柔らかな感触を楽しんだ。

		「…は、…ぁ……。」

		 溜息とも嬌声ともとれる甘い声が、ネギの口から零れる。

		 甘い口付けに力をなくした体は、タカミチに支えられていなければ、その場に頽れていただろう。完全に体を預けてい
		るネギに、タカミチは小さく笑みを浮かべた。

		「大丈夫かい?ネギ君。」

		「……タカミチ、の…バカぁ……。」

		 薄っすらと涙の浮かんだ目でそんなことを言われても、全く効果はなく、寧ろ続きを催促されているかのような錯覚さ
		え起こさせた。それに、タカミチの笑みが苦笑に変わる。

		「そんな顔で言われてもね……。予定を変更したくなるだけだよ、ネギ君。」

		「やだっ!お寿司食べに行くって決めたのに、予定変更なんて、やだぁっ!」

		 その言葉に、離れようと力なくもがくネギを、タカミチは宥めるように抱き締めた。

		「冗談だよ、ネギ君。予定通り、ちゃんと回転寿司には連れていくから。」

		「……ホント?」

		「ああ。ネギ君があんまり可愛い反応をするから、ちょっと意地悪を言ってみたくなっただけだよ。」

		 くすくすと笑うタカミチに、頬を膨らませるネギ。

		「う〜、タカミチの意地悪っ。」

		『そういう反応をするからからかいたくなるんだと、言ったところで、ネギ君には分からないんだろうなぁ。』

		 ネギの反応に、タカミチは苦笑するしかなかった。それに、ネギが首を傾げる。

		「まぁ、日本人でそんな意味にとる人間なんていないと思うけれどね。」

		 蒸し返された先の話題に、「忘れてた!」とばかりに、ネギは慌ててジャケットを脱ぎだした。それをタカミチが止め
		る。

		「こらこら。初夏とはいえ、まだこの時間は薄ら寒いんだから、着てなさい。」

		「だって、タカミチが……。」

		「あれは西欧の話であって、日本人にはそんな意味にとる人はいないよ。と言うより、そういう意味だと、知らない人の
		方がほとんどだ。だから着てなさい。」

		「でも……。」

		「……ここでジャケットを脱いで、予定を変更して僕の部屋に行くか、それともジャケットを着たまま回転寿司に行くか、
		どっちが君の希望だい?ネギ君。」

		「着ます!着るから、お寿司屋さんに連れてって!」

		 抑揚のないタカミチの言葉に、慌ててネギはジャケットをきちんと着こんだ。それに、タカミチが小さく頷く。

		「よろしい。では行こうか。」

		 そう言って小さく笑うタカミチに、ネギは安心したように息をついた。が、それもつかの間、タカミチの口からこぼれ
		た言葉に、ネギの顔は強張った。一瞬色をなくし、次いで真っ赤に染まる頬。それに、タカミチの笑みが深まる。

		「とは言え、明日も授業があるからね。無理はさせないよ。それなら安心だろう?ネギ君。」

		 続けられた信憑性の薄い言葉に、ネギは思わず叫んでいた。

		「タカミチのバカー!!!」










		 翌日、腰の辛そうなネギの姿が、3−Aの教壇にあったそうだ。







		THE END











		ジャケットの丈は本来、腕を下ろして軽く指を曲げた時の長さと同じくらい、が
		一般的です。
		が、最近、それが流行りなのか、丈の短いジャケットもあったりします。
		で、今回ネギ君が着ているジャケットは、そういうものなんですが、この長さの
		ジャケット、西欧(だったかな?違ってたらすみません;)では、「ゲイの人カ
		モン!」な意味になるんだそうです(爆)ので、あちらへお越しの際は、着ない
		方がよろしいかと(笑)
		文中でその説明を入れようと思ったんですが、入れるタイミングを逸しまして;
		ええ、タカミチが暴走してくれたおかげで、オチまで変わっちゃいました;
		・・・言い訳ですね;未熟者ですみません;
		ちなみに、ネタもとは「王様の仕立て屋(大河原 遁先生著)」。
		とはいえ、私は話を聞いただけで、読んでないんですが;(おいおい)
		現在連載している話にこのことが載っているそうです。聞いただけなので、もし
		間違ってたらすみません;
		しかし、こういうネタはやっぱ、タカネギですね(笑)