秋霖の忌



		 昨夜から降り始めた雨は、止むどころかますますその勢いを増している。

		 俺たちはスバルの中、降り続く雨に外へ出ることも出来ず、ただぼんやりと窓の
		外を見ていた。

		「雨、止まないね。」

		「ああ………。」

	 	 銀次の言葉に小さく答えて、俺はポケットから煙草を取り出した。それに火を点
		し、そうしてゆっくりと吸い込む。

	 	 沈黙が流れる。

	 	 いつもは明るい銀次も、気が滅入ったのか今日はひどくおとなしい。

	 	 俺は無言で、ただ煙草を燻らせていた。

	 	 深く吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出す。

		 紫煙が天井へと立ち昇るのを、そして黙ったままの俺を、銀次は黙って見ている。

	  	 俺は銀次の視線を痛いほど感じながら、それでもそれに気づかないふりをして、
		ただ、降り続く雨を物憂げに見ていた。

	  	 煙草を吸う微かな音と息遣い、そして雨音だけが空間を満たす。空気がひどく重
		く感じられた。

	 	 銀次とて、初めから静かだったわけではない。最初のうちは、それこそ俺の気を
		紛らわすためとでも言いたげに、なんだかんだと話しかけてきた。どうでもいいよ
		うな話から笑い話まで、それこそいろいろと。

	  	 その銀次がこうもおとなしくなってしまったのは、全て俺のせい。銀次が気を遣
		ってくれたのに、気も漫ろに、俺が気のない返事ばかりをしていたから。

	 	 それでも何とか気分を盛り上げようと、銀次は一生懸命だった。が、それも空し
		く、俺の気は晴れるばかりかますます沈んでいって、そうして結局、状況を打破す
		ることを銀次も諦めてしまった。

	 	 そして現在に至る。

	 	 銀次には悪いことをしたと思っている。

	  	 俺をなんとか元気付けようとしてくれたのは、痛いほど分かっているから。


	  	 でも――――。





	  	 雨は止む気配もなく、ただ降り続いている。

	 	 静かな車内に雨音が響く。

	  	 激しく地面を叩く雨が不協和音を奏で、いっそ耳を覆いたい気分になる。

	  	 苛立ちにも似た感情に、吸っていた煙草を半分ほどで揉み消してしまう。そうし
		て吸殻を灰皿へと放り込み、リクライニングを倒して寝転んだ。

		「……蛮ちゃん?」

		「少し、寝るわ。雨も止みそうもねぇしよ。」

	 	 銀次の問い掛けるような視線に目を瞑ったまま答えを返す。

		「……うん。そだね。おやすみ。」

	 	 向けた背中に掛けられた心配そうな銀次の声音も聞かなかったふりをして。



	 	 激しい雨音が耳を打つ。

	 	 あの日の記憶を呼び覚ます、まるで呪詛のような音。

	  	 邪馬人を失くしたあの日、俺の世界は闇に蔽いつくされた。

	 	 行く場所もなく道端に蹲って、そうして降り出した雨が体を叩き、容赦なく
		体温を奪っていった。

	 	 だが、体に感じる寒さより、邪馬人を失った冷たさに凍えそうだった。

	 	 「なぜ?」と、疑問ばかりが後から後から湧き上がり、結局答えは出ぬまま、
		今もまだ、俺は抜け出せないでいる。邪馬人の死の悲しみから。



	 	 忘れたい。彼の死が重すぎるから。



	 	 忘れたくない。今もまだ彼を想っているから。



	 	 忘れたいのは、邪馬人を失った悲しみ。



	 	 忘れたくないのは、温かな邪馬人の腕の温もり。



	 	 それでも無情にも過ぎる月日に、忘れたくない温もりは徐々に色褪せ、忘れ
		たい悲しみは更に色を増していく。

	 	 いっそ忘れられれば楽になれるのに、それすらも出来ず。

	  	 そして俺はまだ、邪馬人の死を受け止め切れずにいる。




	  	 雨音はますます激しく耳を打つ。まるで世界に存在する音はただそれだけの
		ような、そんな錯覚さえ感じさせるほどに。



	  	 一年以上経った。邪馬人の死から。



	  	 もう一年?




	  	 まだ一年?




	  	 答えも出せないのに、月日だけは無情に過ぎていく。まるでこの雨のように。



	  	 どれだけ迷えば辿り着けるのだろうか。答えに。


	  	 どれだけ過ぎれば忘れられるのだろうか。悲しみを。



	  	 一年たった今も色褪せることない鮮明なこの記憶を、想い出として振り返る
		日が来るのだろうか。本当に。




	 	 そうして、雨は降り続く。

	 	 降り止まない雨、重く垂れ込めた暗雲。

	  	 それはまるでこの心を映すかのようにいつまでも晴れることはなく。

	  	 降り続くこの秋霖のように、忌はまだ明けない。





	  	 THE END














	タイトルは波津さんの同タイトルの作品から。
	元の作品はもっと素敵なお話ですので、見比べたりしないでくださいね(苦笑)
	うちの蛮ちゃんは、未だに邪馬人にーちゃんの死を引き摺っています。それを
	表したのがこれ。
	実際銀次の存在に、かなり助けられていると思うんですよ。蛮ちゃんって。も
	ちろん精神的に。でも、簡単には忘れられないよな、とも思うので書いたもの
	です。
	実は邪馬人にーちゃんが死んだ直後の話というのも書いていたのですが、書き
	かけで止まっています。ちょうど祖母の死後に書いていたので、泣きながら書
	いていたんですが。
	そう、もうノリはセラピー。書くことによってその悲しみを少しでも減らそう
	と、そんな感じでした。でもお陰で取り止めがなくて、中途になっております。
	ちゃんと仕上げなきゃとは思っているんですけどね。
	途中まで読んでる月海くんにも悪いし。
	話だけでなく、コメントまで暗くてすみません。