秘め事の一夜 ― 2 ― エレベーターを待つのももどかしく、彼を抱えて階段を上っていく。 最上階にある自分の部屋に着くと、そのまま寝室へ向かう。そうし て中央に座すベッドに彼を下ろした。 私の手が僅かに離れたその隙をついて、先までの従順さが嘘のよう に、彼は脱兎の如く逃げ出した。 どうやら、諦めたように見せかけて、はなから隙をついて逃げ出す つもりだったらしい。 まったく、本当に往生際の悪い。そんなところもあなたらしいと言 えば、あなたらしいのですが。 「……本当に困った人ですね。」 小さく呟いて、彼が玄関を出る寸での所で捕まえる。往生際悪くじ たばたともがく彼を、引き摺るようにして寝室へ連れて行き、少々乱 暴にベッドに押し倒した。 「くそっ!離せ!」 「本当に往生際の悪い人ですね。ここまで来て逃がすと思いますか? 私が、あなたを。」 もがく彼の体を押さえつけるようにして上に乗り、両手首を掴んで 頭上で一纏めにしてしまう。 身動きままならない状況と、そして薄く浮かべた私の笑みに、それ でも彼はきつい眼差しを私に向けた。 「そう、その目です。その目が、私を狂わせる……。」 「ふざけ……っ!んっっ!」 顔をそむけようとするのを顎を押さえて逃がさない。そうして思う まま貪ってから解放してやる。 「はぁ……っテ…メ……っっ。」 「ああ、ぞくぞくしますよ。美堂くん。これからあなたが私のものに なるかと思うと、実に、ね。」 笑みを深め、ポケットから細い紐を取り出す。 「しかし、少々おいたが過ぎますね、あなたは。縛めが必要なようで す。」 「なん……っ!?」 目を剥いた彼に冷たい笑みを向け、そうして取り出した紐で手首を ベッドに縛りつけた。 「あ、赤屍っ!?テメ!離せ!離せよ!!」 慌ててもがく体を上から押し付けて、その抵抗さえも封じてしまう。 「ダメですよ、美堂くん。離したらあなたは逃げてしまうでしょう? ですから、ダメです。ああ、でも、この程度の紐では簡単に引き千切 られてしまいますね。」 いっそ優しいとさえ言える、だが残酷な笑みを向けて、サイドテー ブルから手錠と布を取り出す。 手にした手錠に、彼の顔色が変わるのがはっきりと見て取れた。 「ふ、ふざけんな!テメー何考えて……や、やめっ!」 嫌がる彼の手首に手錠を掛ける。途端、半ば恐慌をきたしたかのよ うに彼が暴れだした。 「や、嫌だ!離…っやだぁっっ!!」 いつもの彼からは想像も出来ぬほどの反応に、この恐慌を引き起こ したのが手錠だと気がつく。どうやら過去のトラウマに触れたらしい。 手錠によるトラウマなどという、あまりに彼には似つかわしくない 事象に眉を顰めた。 多分、手錠で拘束され、酷い仕打ちをされたのだろう。そして、そ れが強姦だろうということは容易に想像がついた。 今私が彼にしようとしていることと同様のことを、既に行った人物 がいる。それだけで不快な気分に陥る自分に驚きを隠せない。 「美堂くん。落ち着いてください。そのような様、あなたには似つか わしくありませんよ?」 優しく言い聞かせるように囁く。 囁きに、潤んだ瞳が私を見た。 「……あ…かばね……。……やだ……やめ……。」 弱々しく頭を振る彼の頬に口付ける。 「残念ですがそれは出来ません。が、その代わり決して酷くはしない と誓いましょう。」 優しく髪を撫でてやれば、彼は諦めたかのように目を閉じた。 噛み締めた唇が震えているのがひどく印象的だった。 「ご安心を。私は約束は守るほうです。」 彼の反応に笑みを返し、そうして己の唇を彼の唇に重ねた。 噛み締めた唇に軽く触れる。一度、二度、と何度か触れるだけの口 付けを落とす。そうこうするうちに、躊躇いがちに、だが震えるよう に唇が微かに開かれた。 誘われるまま舌を差し入れれば、途端体を竦ませる。 怯えたそれを絡め取り、思うまま貪る。応えこそ返ってこなかった が、覚悟していた抵抗はなかった。 「美堂くん……。」 囁きと共に耳たぶを甘噛みする。刺激に震える体が愛しさを募らせ た。 そのまま舌を差し入れ柔らかく刺激すれば、苦しそうに目を閉じ、 体を震わせる。 「ぁ……や……っっ。」 微かに洩れる吐息は限りなく甘く、私の心を擽る。 震える唇が、上気した頬が、彼のその何もかもが私の情欲を煽り立 てて止まない。 もう一度口付け、一度上体を起こす。そうして美堂くんに見せ付け るように、一つ一つゆっくりとそのシャツのボタンを外していった。 「……っっ。」 怯えたような目を向けるのに笑いかけて、軽くキスを落とす。 「怖がることはありません。あなたはただ、快楽に酔っていればい いんです。」 「こ、怖がってなんかねぇっっ。」 私の言葉に強がりが洩れる。 それがまたなんとも可愛らしくて、嗜虐心を煽り立てられる。が、 約束は約束。思わず頭を擡げる感情を抑え込んだ。 言葉とは裏腹に震える彼に小さく笑いかける。 何もかも見透かしているかのような私の笑みに、彼の頬に朱が散っ た。 本当に可愛らしい人ですね、あなたは。約束などしていなければ、 そんなあなたを思うまま鳴かせることが出来たのですが。残念ですよ、 非常にね。 「さあ、おしゃべりはここまでです。美堂くん。あなたが乱れるその 美しい様を、思う存分私に堪能させてください。」 途端真っ赤になった彼に口付けて、そうしてそのまま首筋へと唇を 滑らせた。 シャツのボタンを全て外し、タンクトップをたくし上げる。途端現 れる白い肌と、赤く色づいた蕾。その白と赤のコントラストが得も言 われぬ色香を醸し出す。 ふと、その滑らかな肌に不釣合いな傷痕があることに気がついた。 比較的まだ新しいそれは、塞がってはいるが引き攣ったような痕を 残したままで、白く滑らかな肌にそこだけが違和感を感じさせた。 「……これは、もしかして私がつけた……?」 確かめるようになぞれば、小さく体を震わせて、彼は私を睨んだ。 「……だったら…どーなんだよ……?」 「そうですか。それはそれは……。」 彼の言葉に、薄く笑みを浮かべる。 他にはそれらしい傷痕一つない美しい肌に、私のつけた傷だけがそ の痕を残している。 私だけが、彼の肌に、この白く滑らかで美しい肌に傷痕を刻み付け ることが出来た。その事実が無上の悦びを呼び起こす。それはまるで、 彼の体に自分を刻み付けたような、そんな錯覚を起こさせた。 「私だけが、あなたのこの肌に傷を残すことを許されたのですね?光 栄ですよ、実に、ね。」 至極満足そうな笑みを浮かべた私に、彼は頬を赤らめた。 「な、何言ってやがる!?このヘンタイが!テメーのつけた傷なんざ、 誰が好んで残しとくんだよ!?綺麗さっぱり治すに決まってんだろ!」 そうは言っても、傷はどう見ても痕に残りそうなほど酷いものだ。 真っ赤になったまま怒鳴る彼に、自然笑みが深まる。 しかし、例え傷痕とはいえ私を拒絶する彼に、どうしようもなく嗜 虐心を揺さぶられる。 「美堂くん。あまりつれないことをおっしゃらないでください。でな いと………。」 「あくぅっっ!!」 言いながら傷痕に爪を立てれば、途端、痛みに体が跳ねた。 「な…にす……っやめっ痛……っっあぁっっ!」 なおも執拗に傷を嬲れば、その度に跳ねる体が奇妙な色香を醸し出 す。 ひとしきりいたぶり、その反応を堪能してから指を離した。 「酷いことはしないと、お約束はしましたが、あなたがそのような態 度をとるのであれば、私も前言を撤回せざるを得なくなりますよ?美 堂くん?」 苦しげに息をつく彼に優しく口付ける。 痛みにか、彼の目には涙が浮かんでいた。 「テ…メ……っ。」 「快楽よりも苦痛のほうがお望みでしたら、遠慮なくおっしゃってく ださい。美堂くんの望みにお答えしますよ。ただその場合……後悔し ないように。」 喜悦の色の浮かんだ笑みを向ければ、彼は唇を噛み締めて押し黙っ てしまった。 私の言葉に偽りがないことを、十分理解しているからだろう。この 状況で苦痛を望めば、それこそここから帰れなくなるかもしれないと、 彼はそう判断したに違いない。そうしてそれは至極的を射ていて、彼 が望むのであれば、二度と再び日の下(銀次くんのところ)へは帰さな いつもりだった。 だから彼は敢えて快楽を選んだのだ。ここを出るために。彼のとこ ろ(銀次くんのところ)へ帰るために。 「賢明な判断です。」 耳元に囁きかければ、肩を竦ませながらも私を睨んでくる。が、口 は堅く閉ざされたまま、言葉を紡ぐことはなかった。 無言を了承と受け止めて、私は止めていた行為を再開させた。