視線その2







 		 着替えのために寄ったのは、タカミチの部屋。

		 僕は何度かここを訪れたことがある。初めて足を踏み入れた場所、というわけではないけれど、それでも、人の
		部屋で着替えるというのはなんだか気恥ずかしくて、部屋に入ったはいいものの、なんとなく落ち着かない。

		 どうしたらいいのか分からなくてタカミチに視線を向ければ、口元に笑みを浮かべたままのタカミチが、「なん
		なら手伝おうか?」と声をかけてきた。

		「い、いいよ。一人で出来るから、大丈夫。」

		 それに慌てて断れば、「なら、この部屋を使うといい。」と、奥の部屋に案内された。

		 初めて入るタカミチの書斎。

		 興味をそそられて見渡せば、まず目を引いたのが、壁一面と表現するのが的確なほど大きな本棚の存在。見れば、
		いろいろなジャンルの本がきちんと整理されて並んでいて、その中にはもちろん魔法書もある。そして、その対面
		に、それほど大きくはない机があり、その上にはパソコンが置いてあった。

		「すごい………。」

		 思わず感嘆の声を上げれば、タカミチが苦笑する。

		「ねぇ、タカミチ。今度ここにある魔法書、見せてもらってもいい?」

		「今度ならね。構わないよ。」

		 僕の問い掛けに、タカミチは苦笑したままそう答えた。

		「魔法書に興味を引かれるのは構わないけれど、今日の予定は僕とデート、ということを忘れないでくれるかい?
		ネギ君。」

		「あ、うん。大丈夫、忘れてないよ。」

		「OK。じゃ、僕は向こうで着替えが終わるのを待ってるよ。終わったら呼んでくれるかい?」

		「うん。分かった。」

		 そう言ってドアを閉めるタカミチを見送ってから、僕はもう一度本棚に目を向けた。

		「……すごいなぁ……。」

		 タカミチは生まれつき魔法詠唱が出来なくて、でも、だからといって、魔法を蔑ろにしていないことは、この蔵
		書を見ればよく分かった。それどころか、知識を得ることに貪欲なのかもしれないと思えた。

		「すっごく見たいけど……今日は我慢、我慢。」

		 後ろ髪を引かれながらも、ここへ来た目的に手をかける。

		 渡された紙袋の中に入っていたのは、麻帆良学園中等部の制服。それから、靴下に、用意周到としか言いようの
		ない赤毛のかつらと、なぜか女性ものの下着。それも、生地は純白、たっぷりのレースに小さなリボンがついてい
		て、可愛い女の子が穿けば、きっと似合うだろうなと思われるようなものだ。そして、口紅。

		「………赤毛のかつらが入ってるって事は、最初から僕が着ることになってたのかな、やっぱり……。」

		 制服から考えても、よく見ればサイズは小さいし、タカミチでは絶対に着られないのは明白だった。

		「う〜……なんかしてやられた気がしないでもないけど………。」

		 それでも、タカミチがこの制服を着て自分の隣に立つことを思えば、自分が着たほうがまだマシと思えた。

		「で、なんで女の人の下着と口紅が入ってるのか、謎なんだけど…………。」

		 首を傾げながらも、とりあえずそれは無視して着替え始める。

		 着ていたものを脱ぐと、まずブラウスに袖を通した。ボタンをはめた後、ネクタイを結び、ベストを着る。それ
		から躊躇いがちにスカートを穿いて、そこで、なぜ女性ものの下着が用意されていたのか、僕はようやく理解した。

		「……………………なんでこんなに丈が短いの!?このスカートっ!」

		 穿いてみて分かったのは、スカートの丈が異常に短いということ。膝上20cmといったところか。「超ミニ」
		と表現するのが的確だと思われるそれに、僕は早くも女装をOKした自分を呪いたくなった。そして、このスカー
		トに合わせるには、自分の穿いている下着でははみ出てしまうこと、だから女性ものの下着が用意されていたのだ
		ろうということを、僕はここに至ってようやく理解した。

		「タカミチのバカ〜………。」

		 嘆いても後の祭りだ。

		 このまま出かけることなど出来ないのは分かっていたから、仕方なく、僕は下着を穿き替えた。

		 スカートの中にちゃんと納まった純白のレースの塊に溜め息をつきつつ、かつらを被って整え、靴下をはく。そ
		うして着替えの終った自分の姿を、僕は恐る恐る見てみた。

		「…………………………………………。」

		 似合わない、ならかえって良かったのかもしれない。けれど、どう見てもかなり似合ってしまっているような気
		がして、僕は大きく溜め息をついた。

		 スカートの丈はやはりどう見ても短くて、ふとした弾みで中が見えてしまうのではないかと不安で仕方がない。
		それ以上に感じるのが、下半身の心もとなさだ。ズボンと違って、言ってしまえば、布を巻いているだけのスカー
		トはなんとも頼りなくて、しかも当然ながら着慣れない下着が、それをますます増長させる。

		 女の人は、よくこんなものを穿いて平気で歩けるなぁと、僕は本気で女性を尊敬したくなった。

		「ネギ君。どうだい?着替えは。そろそろ終わったかな?」

		 扉の向こうから、タカミチが声をかけてきた。それに、躊躇いがちに答えを返す。

		「うん……終わったよ。」

		「開けるよ?」

		 辛うじて僕の声が聞こえたのだろう、そう声がかかった後、ゆっくりと扉が開かれた。

		「サイズは……ほう。」

		 言いかけて、僕の姿を確認すると、タカミチは酷く嬉しそうな笑みを浮かべた。

		「…………な、何?タカミチ……。」

		 黙ったまま頭の先からつま先まで、まるで値踏みするかのように見つめるタカミチに、恥ずかしくて頬が赤くな
		る。

		「……あの……やっぱ、変……だよね?」

		「紛い物でも極上品。」

		「え?」

		「よく似合うよ、ネギ君♪」

		「あうう;」

		 そう言われても素直に喜べない。

		 項垂れてしまった僕に、タカミチの笑みが深まる。

		「そういえば、袋の中に口紅が入っていたはずだけど。」

		「え?ああ、これ?」

		 その言葉に持っていた口紅を渡せば、口元を笑みの形に歪めたタカミチが、手招きで僕を呼ぶ。訳が分からず近
		寄れば、腰を抱いて引き寄せられた。

		「わぁっ!な、何?!タカミチっっ!」

		「じっとして、ネギ君。そうしないとはみ出してしまうからね。」

		「え、あ……。」

		 言いながら、タカミチの手が僕の顎を掴む。軽く上を向かせられた状態で、唇に口紅をつけられる。

		「タ、タカミ……っ。」

		「黙って。」

		 タカミチの行動に驚いて口を開きかければ、妙な迫力で黙らせられる。

		 僕は恥ずかしさに、頬が赤くなるのが分かった。それでも抵抗も出来ず、タカミチのなすがまま。塗り終えたと
		ころで、出来を確かめるように見つめてくるのにも、僕は気恥ずかしさに更に頬を赤らめるしかできないでいた。

		「う〜ん、少し濃いかな?」

		 首を傾げ、タカミチがそう呟く。

		 自分の唇に口紅が塗られている状況を想像したら、どうにもいたたまれず、けれど、相変わらず顎をタカミチに
		掴まれているため、俯くこともできない。困惑気味にタカミチを見つめれば、何かを決心したように、タカミチは
		小さく頷いた。

		「少し落とそうか。」

		「え……?なに……ん……っ。」

		 聞き返す間もなく、唇を塞がれる。そのまま触れるだけのキスを何度かされる。それだけでも震える体を持て余
		して、僕はタカミチの袖を掴む手に力を込めた。

		「……こんなものかな?」

		 唇に触れるか触れないかのぎりぎりのところを、タカミチの指がなぞる。思い通りの色合いになったのか、タカ
		ミチの口元が笑みの形を作った。

		 それは時間にしてみればほんの数十秒の出来事だったけれど、僕にとっては、実際の時間の感覚よりも長く感じ
		られた。

		 キスだけで震えてしまう体も恥ずかしかったが、笑みを浮かべて自分を見つめるタカミチの視線も恥ずかしさを
		増長する。僕は顔を上げていることが出来ず、俯いてしまった。

		 そんな僕に、タカミチの笑みが深まる。

		「そんな反応をされると、今日の予定をキャンセルしたくなるなぁ……。」

		「え……?」

		 ぽつりと呟かれたそれは、僕の耳に言葉として届かなかった。

		 視線を上げれば、そこには苦笑を深めたタカミチの姿があった。

		「タカミチ、今、なんて?」

		「いや、なんでもないよ。」

		 はぐらかすように笑うタカミチに、僕は首を傾げた。

		「さて、用意も出来たことだし、そろそろ出かけようか。」

		 言いながら、先の行為でついてしまった紅を、タカミチはティッシュで拭き取った。それを見て、『僕の時もそ
		うすれば良かったんじゃ……。』と思ったが、今更言っても仕方のないことなので、僕はあえて口にしなかった。

		「折角だから、デートらしく腕でも組んでみるかい?ネギ君。」

		「え?腕?」

		 玄関に向かう途中、思いついたといった風にそう言って、タカミチは僕を顧みた。そうして、僕が絡め易いよう
		に腕を軽く曲げて差し出す。

		「え、えっと……じゃあ……。」

		 差し出されたタカミチの腕に、僕は躊躇いながらも自分の腕を絡めた。

		 僕の行動に、最初は小さな笑みを浮かべていたタカミチの表情が、徐々に笑いを堪えるものになり、ついには声
		を出して笑い始めた。

		「タ、タカミチ…っ!」

		 くつくつと笑うタカミチに、僕は真っ赤になった。

		 腕を組む、と言うよりは、だっこちゃんよろしく、タカミチに必至にしがみ付いているようにしか見えない僕に、
		タカミチが思わず笑ってしまうのも無理はない。身長差があり過ぎるからそうなってしまうのだが、これでは、木
		にしがみつくコアラのようだ。

		「笑わなくても……っっ!」

		「く……ご、ごめん、ごめん……。ネギ君があんまり可愛いから、つい………。」

		 そう言いながらも、なおも笑いの止まないタカミチに、僕は頬を膨らませた。

		「う〜、もう、いいよ!タカミチなんて!知らない!」

		 腕を解くとそのまま玄関に向かおうとした僕を、タカミチの腕が引き止める。

		「ごめんよ、ネギ君。謝るから、機嫌を直してくれるかい?」

		 許しを請うように、膝をついて頬にそっと触れてくるタカミチ。それに、不承不承だが、僕は首を縦に振った。

		「ありがとう、ネギ君。では、出かけようか。」

		 その反応に小さく笑ったタカミチが、立ち上がりながら僕の手を取り、そのまま玄関へと向かった。

		 玄関には、ご丁寧にも学園指定の靴が用意してあった。もちろん、僕のサイズの、である。

		 それを見て、

		『靴まで……。』

		 と、僕は思わず溜め息をついた。

		『絶対、確信犯だ……。』

		 そう思わずにはいられなかった。