視線その4







		 駅へ向かう道すがらも、ネギ君は歩く度にひらひらと揺れるスカートが気になるのか、片手で裾を押さえながら
		歩いていた。

		 当たり前だが慣れない格好に、どうも僕との会話に集中できないようだ。時折名前を呼ぶと、小さく反応しなが
		ら、こちらに視線を向けてくる。

		 たぶん、僕が「ネギ。」と呼び捨てすることにも慣れないのだろう。名前を呼ぶたび、くすぐったいのか、それ
		とも恥ずかしいのか、もしかしたらそのどちらでもあるのかもしれないが、とにかく、ネギ君は頬を薄っすらと染
		めて僕に視線を向けてくる。それが酷く可愛らしくて(扇情的でもあるのだが)。そんなネギ君見たさに、ついつ
		い名前を呼んでしまう。

		 薄っすらと染まった白い肌、困ったような、それでいて縋るようにも見える潤んだ瞳に、何か言いたげに薄く開
		かれた唇の紅が、僕の心を揺さぶる。

		 そんな風に見つめられたら、誰だって、この先の予定をキャンセルして部屋に連れ戻したいと思ってしまうだろ
		う。

		 しかし、それではデートに誘った意味がなくなってしまう。

		 楽しみは後にとっておくことにして、僕はネギ君の、そんな可愛らしくも扇情的な表情を堪能することにした。

		 他愛もない話の端々に名前を呼んで、ネギ君の見せるその愛らしい表情に一人ほくそ笑む。もちろん、ネギ君に
		はそれを気取られないように。

		 恥ずかしいのか、口数の少なくなってしまうネギ君に対し、僕はむしろ、いつもより饒舌だった。

		 ネギ君の反応見たさに、というのももちろんあるが、それだけでなく、ネギ君がすれ違う人の視線に気づかぬよ
		うにという配慮もあった。

		 白い肌に桜色の頬、恥かしさにか伏し目がちな瞳に長い睫毛、ほんのり色づいた唇はいっそ魅惑的で、そんなど
		こからどう見ても清楚な美少女(それも、「超」がつく)なネギ君の姿に、すれ違う人が無反応でいられるわけが
		ない。それは、男はもちろんのこと、女性も例外ではなかった。

		 男の場合、すれ違う前からネギ君に視線がいっていて、それがすれ違ってもまだ振り返るという形で絡みつく。
		女性の羨望の眼差しは苦笑で片がつくが、男のそれは、優越感以上に不快感を呼び起こす。それでもそう言った輩
		がネギ君に声をかけてこないのは、ネギ君に絡む視線に、僕がきつい視線を向けるからだ。僕と目があった人間は、
		一瞬顔色を変えて、そうして足早にその場を去っていく。「目は口ほどに物を言う」の諺通り、「ネギ君に声など
		かけてみろ。どうなるか分かっているな?」と、ほとんど脅しのような視線を向けているのだから、その反応も無
		理からぬことと言えよう。むしろ、それで大人しく引き下がってくれるのだから、ある意味楽だと言えるかもしれ
		ない。

		 しかし、ネギ君が一人で歩いていたら、今頃どうなっていただろうか。

		 ふと浮かんだ疑問に、大変嬉しくない想像が、それも容易に出来てしまい、僕は思わず繋いだ手に力を込めてし
		まった。

		「タカミチ?どうしたの?」

		 突然強く握られたことに戸惑ったのか、上目遣いで僕に問いかけてくる。

		 その顔は反則だよ、ネギ君。

		 などと先の決意を揺るがされる表情にくらくらしながらも、

		「なんでもないよ。ああ、ほら、駅が見えてきたよ、ネギ。」

		 と、目の前に現れた駅を指さす。

		 ネギ君は相変わらず僕が名前を呼ぶと恥ずかしいようで、頬を薄っすらと染めて困ったような表情を見せる。そ
		れでも、ゆっくりと駅の方に視線を向けて、「ホントだ。」と小さく呟いた。

		「目的地までは、電車に乗ってしまえばそれほどかからないよ。さ、行こうか、ネギ。」

		「あ、うん。」

		 どうしても一拍返事の遅れるネギ君に、つい口元がゆるんでしまう。僕の笑みをどうとったのか、小さく笑い返
		してくるから、思わず踵を返しそうになる。そんな自分を叱咤し、ほんの少しネギ君の前を歩くようにして、駅へ
		と向かった。

		 階段では位置を変え、ネギ君を先に上らせる。そのすぐ後ろを僕が続けば、不思議そうに僕に視線を向けてくる
		ネギ君。僕が隣を歩かないのが不思議で仕方がないのだろう。

		 それにはちゃんと訳があるんだよ、ネギ君。

		「ほら、ちゃんと前を見て歩かないと、危ないよ、ネギ。」

		 段差により、少しだけ身長差がなくなったのをいいことに、耳元にそっと囁けば、ぴくんと反応が返ってくる。

		「んっ、わ、分かったから、耳元で囁かないで……///」

		 耳まで真っ赤にして、そう抗議してくるネギ君。

		 言葉通り、その後は僕を振り返ることなく前だけを見て上っていくのが可愛らしくて、ついついからかいたくな
		る。が、階段の上、ということもあり、さすがにそれ以上のちょっかいは出さなかった。

		 ネギ君が階段を一段上るたびに、スカートの裾がひらりひらりと翻る。自分が用意したものとはいえ、やはりそ
		の長さはとても短くて、ともすれば下着が見えてしまいそうになる。階段という場所柄、覗こうと思えば幾らでも
		覗けるということもあり、それを阻止するためにも、ネギ君を先に上らせているのだ。もちろん、慣れない格好に、
		万が一にもネギ君が足を踏み外すなどした際、すぐに対応できるようにという配慮もあるのだが。

		 そのまま何事もなく階段を上りきったネギ君が、ほっとしたように息をつく。そんな彼の手を取り、先同様繋げ
		ば、ネギ君はちょっと照れたように笑った。

		 そんな表情の一つ一つに、本当に、何度踵を返そうと思ったことか!

		 それでもそれをぐっと堪えて、改札口へと向かう。

		 券売機で切符を購入する際、ネギ君には改札口で待っていてもらおうかとも思ったが、ここへ来るまでの道程を
		思えば、一人にするのは得策ではないと容易に判断出来たので、一緒に買うことにした。

		「ねぇタカミチ。わ、私の切符代って、いくら?」

		 何事もなく改札を通りホームで電車を待っている最中、そうネギ君が尋ねてきた。それに、小さく笑って「必要
		ない。」との意思表示をする。

		「うん?ああ、僕が誘ったんだから、それは気にしなくていいよ。」

		「でも……。」

		「それに今日はデートだからね。こういう時は遠慮なく奢られて、僕に花を持たせてくれないと。」

		「花…?」

		「そう。男はね、好きな人の前ではかっこつけたい生き物なんだ。だから、今日はお代云々の話はなし。いいね?
		ネギ。」

		「え、あ、うん……。」

		 僕の言葉に薄っすらと頬を染めたネギ君が、小さく頷く。

		 照れ笑いを浮かべるネギ君に、今からでも遅くない、回れ右して部屋に連れて帰ろうかと、一瞬、本気でそう
		思った。だが、そんな僕の気持ちを断ち切るかのように、ホームに電車が到着した。

		「タカミチ?どうしたの?」

		 一瞬乗るのを躊躇った僕に、ネギ君が首を傾げる。それに苦笑して、小さく息をついた。

		 まだ時間はある。お楽しみは最後にとっておこう。そう思い直す。

		「さ、行こうか。ネギ。」

		 先の思いを振り切るように、僕はネギ君と共に目の前の電車に乗った。